映画『告発のとき』
2008年 07月 21日
映画『告発のとき』をぜひ見てほしいと思ってます。実際にあった事件がもとになっている映画です。缶コーヒーのCMですっかり宇宙人になってしまっているトミー・リー・ジョーンズ氏ですが、アカデミー賞主演男優賞ノミネート。軍に忠誠を誓った真面目な父親の切なさがリアルでした。試写で観させてもらった時に書いた感想をここに載せることにします。
『告発のとき』公式サイト
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映画『告発のとき』
もし、私が軍に入隊していたら…。
私はこの狂気を他人事だとはどうしても思えない。
私の中にある暴力性はゼロじゃない。
そうやって自分の狂気を認めることで、
私は良心を保っていられるのかもしれない。
ペットの犬と妻を風呂場で溺死させたイラク帰還兵も、
仲間を42カ所もナイフで刺し殺し、
遺体を刻み、焼いて食したという若きイラク帰還兵たちも、
素直で、楽しくて、おおらかで、希望を持って、
溢れる正義感でイラクに行ったはずだった。
もし、私が溢れる正義感で軍に入隊していたら…。
イラクでは混乱する米兵をよく見た。ここ数年はイラク帰還兵に何人も会ってその壮絶な体験を聞いてきた。
イラク国境で任務にあたっていた米兵は、英語が通じないイラク人に対して銃で脅し、怒鳴り散らしていた。あの時、私が仲介に入らなければこの米兵は乱射していたかもしれない。
検問所をイラク人が通る時、どれほど自分がパニックを起こしていたかを語り、
そんな状況で数え切れないほど罪なきイラク人を殺したことを告白してくれた帰還兵がいた。隣にいた妻はいつでも彼の手を握っていた。
イラク開戦はエキサイティングだったけど、命令どおりに攻撃をした先で死んでいたのはサンダル履きの父親と小さな子どもたちだったと語ってくれた帰還兵がいた。彼は、イラクの映像は見ないようにしていた。でも、再びイラク派兵の命令が来るかもしれないと最後に言った。
基地の中は暴力が溢れていて、その矛先はイラク人捕虜に向けられ、おぞましい虐待の限りが尽くされていたと直視できない写真を見せてくれた帰還兵がいた。彼は良心的兵役拒否者になった。
映画『告発のとき』の主人公の息子マイクは、立派な軍人だった父に憧れ、陸軍に誇りを持ち、忠誠を誓っていた。しかし、戦場は矛盾に満ちていて、疑念が生じるのを抑えられる場所ではなかった。「命令に従うだけです」という言葉は、どこの国の軍人からも発せられる言葉だ。「命令に従う」とはどういうことか。「命令に背く」とはどういうことか。「止まるな!直進しろ!」という単純な命令が罪なき子どもをひき殺すこともある。マイクは自分自身が崩壊していくのを止められなかった。壊れた自分はさらに弱い立場のイラク人捕虜に向かって暴発する。
マイクが軍に志願したのは「罪なき人々を悪党から救う」という「良心」に従ったはずだったのに、軍では、罪なき人々をひき殺すことも厭わない「命令」が最優先になる。信頼しきっていた軍の「命令」が、忠誠を誓った若き兵士たちを壊していってしまう。
イラク支援をしていると、このようにして命を絶たれたイラク人犠牲者に嫌というほど会う。鮮血が飛び散り、焼け焦げ、引き裂かれ、脳みそが飛び出した肉親の遺体に、遺族は慟哭し、アメリカを憎み、その軍事サポートをする日本を罵る。しかし、「命令に従っただけ」の米兵たちは、泣き叫ぶイラク人たちに銃口を向けたまま、怒鳴り散らして立ち去って行く。イラク人と行動を共にしている私たちにも銃口を向けて来たり、発砲したりと容赦ない。そこに「日米同盟」はない。それが、戦場の現実だ。
2年ほど前、ニューヨークにある帰還兵専門病院を取材した時、セラピストは帰還兵たちの様子を説明するのに、何度も「Isolation」という言葉をくり返した。「孤立」「分離」「隔離」という意味だ。映画の中の帰還兵たちも、私が直接会った帰還兵たちも、ほとんどが「孤立」している。
みんな、笑顔じゃなかった。
「元気?」なんて言葉、かけられなかった。
みんな、理解されないことに失望していた。
でも、私が同じ時期にイラクにいたこと、
イラクで拘束されたことを知ると、
みんな「眠れているか?悪い夢は見ていないか?」と聞いてくる。
みんな「家族はサポートしてくれてるか?」と聞いてくる。
私の身に起きたことを知った途端、彼らは自分の内を話し始める。
私たちを結びつけるのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
それはきっと、「戦場」という狂気を肌で知ったという同胞意識かもしれない。
私は、軍人じゃなくて、支援者として、武器を持たずにイラクにいて、
殺されそうにはなったけど、殺してはいない。
でも、米兵たちは違う。殺し、殺されている。
私は、日本社会に理解されなくて苦しんだけど、彼らはそれだけじゃない。
自分の暴発する狂気を自身で止められない。
それがどれほど苦しいことか。
映画の中で仲間を殺したと容疑をかけられたメキシコ移民のオーティーズは
「イラクは最悪だった。でも、帰国して2週間、イラクに戻りたい」と言う。
家族でさえ、恋人でさえ、理解の範疇を超えてしまう「戦場」という狂気。
そして、自分の苦しみを受け止めてくれるのもまた「戦場」しかないと思えてしまう狂気。
イラク帰還兵の中には、「良心に従って」反戦を唱え、イラクの現実を告白する人たちが増えている。しかし、一方で頑なに口を閉ざし、理解されないことに苦しみ、自殺を計る人も多い。あるいは、オーティーズのように自らイラクに戻ろうとする人もいる。いずれにしても、心に負った傷は大きい。消し去ることのできない記憶とともに、最期まで生きていかなければならない。それは、なくてもいい記憶のはずだった。そんな記憶を刻みつけることになるなど想像さえしないまま、あるいは自分がPTSDに負けるはずはないと豪語しながら、ブートキャンプ(初年兵教育キャンプ)に集まってくる新兵は後を絶たない。
映画のラストシーン。戦友たちに息子を惨殺された父親は、星条旗を逆さまに掲げる。その意味は「国際的な救難信号」だと言う。
女性警察官の幼い息子デビッドが、枕元で英雄ダビデの話をする母親に問う。
「なぜ、王様はダビデに戦うことを許したの?まだ子どもなのに」
逆さまの国旗を「夜も下ろさないでくれ」と言って、ポールにガムテープをぐるぐる巻きにした父親の無念さを、私たちはどうしても理解する必要がある。
子どもたちが、素直に、おおらかに、正義感に満ちて生きていける場所は、戦場ではないから。
高遠菜穂子
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『告発のとき』公式サイト
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映画『告発のとき』
もし、私が軍に入隊していたら…。
私はこの狂気を他人事だとはどうしても思えない。
私の中にある暴力性はゼロじゃない。
そうやって自分の狂気を認めることで、
私は良心を保っていられるのかもしれない。
ペットの犬と妻を風呂場で溺死させたイラク帰還兵も、
仲間を42カ所もナイフで刺し殺し、
遺体を刻み、焼いて食したという若きイラク帰還兵たちも、
素直で、楽しくて、おおらかで、希望を持って、
溢れる正義感でイラクに行ったはずだった。
もし、私が溢れる正義感で軍に入隊していたら…。
イラクでは混乱する米兵をよく見た。ここ数年はイラク帰還兵に何人も会ってその壮絶な体験を聞いてきた。
イラク国境で任務にあたっていた米兵は、英語が通じないイラク人に対して銃で脅し、怒鳴り散らしていた。あの時、私が仲介に入らなければこの米兵は乱射していたかもしれない。
検問所をイラク人が通る時、どれほど自分がパニックを起こしていたかを語り、
そんな状況で数え切れないほど罪なきイラク人を殺したことを告白してくれた帰還兵がいた。隣にいた妻はいつでも彼の手を握っていた。
イラク開戦はエキサイティングだったけど、命令どおりに攻撃をした先で死んでいたのはサンダル履きの父親と小さな子どもたちだったと語ってくれた帰還兵がいた。彼は、イラクの映像は見ないようにしていた。でも、再びイラク派兵の命令が来るかもしれないと最後に言った。
基地の中は暴力が溢れていて、その矛先はイラク人捕虜に向けられ、おぞましい虐待の限りが尽くされていたと直視できない写真を見せてくれた帰還兵がいた。彼は良心的兵役拒否者になった。
映画『告発のとき』の主人公の息子マイクは、立派な軍人だった父に憧れ、陸軍に誇りを持ち、忠誠を誓っていた。しかし、戦場は矛盾に満ちていて、疑念が生じるのを抑えられる場所ではなかった。「命令に従うだけです」という言葉は、どこの国の軍人からも発せられる言葉だ。「命令に従う」とはどういうことか。「命令に背く」とはどういうことか。「止まるな!直進しろ!」という単純な命令が罪なき子どもをひき殺すこともある。マイクは自分自身が崩壊していくのを止められなかった。壊れた自分はさらに弱い立場のイラク人捕虜に向かって暴発する。
マイクが軍に志願したのは「罪なき人々を悪党から救う」という「良心」に従ったはずだったのに、軍では、罪なき人々をひき殺すことも厭わない「命令」が最優先になる。信頼しきっていた軍の「命令」が、忠誠を誓った若き兵士たちを壊していってしまう。
イラク支援をしていると、このようにして命を絶たれたイラク人犠牲者に嫌というほど会う。鮮血が飛び散り、焼け焦げ、引き裂かれ、脳みそが飛び出した肉親の遺体に、遺族は慟哭し、アメリカを憎み、その軍事サポートをする日本を罵る。しかし、「命令に従っただけ」の米兵たちは、泣き叫ぶイラク人たちに銃口を向けたまま、怒鳴り散らして立ち去って行く。イラク人と行動を共にしている私たちにも銃口を向けて来たり、発砲したりと容赦ない。そこに「日米同盟」はない。それが、戦場の現実だ。
2年ほど前、ニューヨークにある帰還兵専門病院を取材した時、セラピストは帰還兵たちの様子を説明するのに、何度も「Isolation」という言葉をくり返した。「孤立」「分離」「隔離」という意味だ。映画の中の帰還兵たちも、私が直接会った帰還兵たちも、ほとんどが「孤立」している。
みんな、笑顔じゃなかった。
「元気?」なんて言葉、かけられなかった。
みんな、理解されないことに失望していた。
でも、私が同じ時期にイラクにいたこと、
イラクで拘束されたことを知ると、
みんな「眠れているか?悪い夢は見ていないか?」と聞いてくる。
みんな「家族はサポートしてくれてるか?」と聞いてくる。
私の身に起きたことを知った途端、彼らは自分の内を話し始める。
私たちを結びつけるのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
それはきっと、「戦場」という狂気を肌で知ったという同胞意識かもしれない。
私は、軍人じゃなくて、支援者として、武器を持たずにイラクにいて、
殺されそうにはなったけど、殺してはいない。
でも、米兵たちは違う。殺し、殺されている。
私は、日本社会に理解されなくて苦しんだけど、彼らはそれだけじゃない。
自分の暴発する狂気を自身で止められない。
それがどれほど苦しいことか。
映画の中で仲間を殺したと容疑をかけられたメキシコ移民のオーティーズは
「イラクは最悪だった。でも、帰国して2週間、イラクに戻りたい」と言う。
家族でさえ、恋人でさえ、理解の範疇を超えてしまう「戦場」という狂気。
そして、自分の苦しみを受け止めてくれるのもまた「戦場」しかないと思えてしまう狂気。
イラク帰還兵の中には、「良心に従って」反戦を唱え、イラクの現実を告白する人たちが増えている。しかし、一方で頑なに口を閉ざし、理解されないことに苦しみ、自殺を計る人も多い。あるいは、オーティーズのように自らイラクに戻ろうとする人もいる。いずれにしても、心に負った傷は大きい。消し去ることのできない記憶とともに、最期まで生きていかなければならない。それは、なくてもいい記憶のはずだった。そんな記憶を刻みつけることになるなど想像さえしないまま、あるいは自分がPTSDに負けるはずはないと豪語しながら、ブートキャンプ(初年兵教育キャンプ)に集まってくる新兵は後を絶たない。
映画のラストシーン。戦友たちに息子を惨殺された父親は、星条旗を逆さまに掲げる。その意味は「国際的な救難信号」だと言う。
女性警察官の幼い息子デビッドが、枕元で英雄ダビデの話をする母親に問う。
「なぜ、王様はダビデに戦うことを許したの?まだ子どもなのに」
逆さまの国旗を「夜も下ろさないでくれ」と言って、ポールにガムテープをぐるぐる巻きにした父親の無念さを、私たちはどうしても理解する必要がある。
子どもたちが、素直に、おおらかに、正義感に満ちて生きていける場所は、戦場ではないから。
高遠菜穂子
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by nao-takato
| 2008-07-21 02:06
| 心/瞑想