8月10日 世論ってどこにある?
2004年 08月 11日
今朝の1面は、ナジャフでのマフディ軍と占領軍の戦闘のこと。見出しで日本の美浜原発の事故のこともかなり大きく出ていた。それと、元イラク統治評議会メンバーのアフムドチャラビがイラク紙幣偽造の疑いと、その甥のサーレムチャラビが財務省高官のハイセムファディル氏の殺人容疑で逮捕状が出されたというのが、写真付きで。チャラビさんがヨルダンで銀行のお金を使い込んで指名手配だというのは聞いたことがあったけど、すごいね!これだもん、イラク人が統治評議会だって、今の暫定政府だって信用しないわけだ。この人たちに限らず、亡命イラク人で占める政府はイラク人とはかけ離れ過ぎてるし、よく言われたのが、「一番苦しかったイラクから逃げた奴らじゃないか!」という声。そんなことを聞かされて過ごしていたもので、一時帰国した日本の報道が統治評議会のコメントをまるでイラク人の代表のように出ているのが奇異に感じていた。イラク暫定政府の大統領だったか首相だったかが「自衛隊は大歓迎です」と小泉首相に言ったのも、非常に個人的意見だなと思った。宮殿の中には一般人は入れないから仕方ないのかしら!?
とは言っても、イラク人にしてみればアメリカ人に仕切られるよりはイラク暫定政府に期待したいところ。そんな感じもかなりあるよう。戦争直後にみんなが「アメリカンドリーム」を見ていた頃にちょっと似てるけど、モチベーションはかなり下がっている感じ。でも、アルジャジーラの一件でだいぶ評判は落ちたみたい。ノーテンキに見えるヨルダンの人々も「そりゃ、ないだろう!」と憤慨。パレスチナ人のある人は「アラウィ首相はシャロン首相に似てきた」と言い出す始末。
夕べ、珍しくヨルダンの下町一帯が停電していた。そんな時、一人のイラク人ドクターがホテルにやってきた。バグダッドからだった。正確に言うと、在イエメンイラク人ドクター。彼はバグダッドに13日間滞在したとのことだった。停電の間、ろうそくの灯りのもとでイラクのことを色々話した。私もついつい食いつくように質問しまくってしまった。バグダッドにいる彼の家族は無事らしいが、イラクは本当に大変な状況だよと教えてくれた。「バグダッドは良い方だよ」と彼は言った。そして、やっぱりアラウィ首相はとんでもない!と怒りをあらわにしていた。彼は温厚そうな人に見えたけど、言うことはなかなか厳しかった。パレスチナの人と同じ、なぜ抵抗し武器を持って戦わなければならないか、世界は知らないのだと訴えていた。そして、イラクのあちこちで戦闘が起きているが、それは戦う権利であり、彼らの尊厳でもあると力説するのだった。
私は、「そうは言っても、あなたはイエメンに帰ってしまうし、実際に戦う人たちは戦えば戦うほど家族や同胞を失っていく。暴力で復讐しても解決にならないのではないか?」と聞いた。彼は、最初のうちはものすごい勢いで武力による抵抗運動を賞賛し、それしか方法なんてあるものか!と言っていたが、私も力説を始めたら、本来の柔和な人に戻った感じで、「そこに希望があるならば」というようなことを言った。私は「長旅で疲れているところいろいろ質問してごめんなさい」と言うと、彼は「実に興味深い話ができたよ」と言ってくれた。しばらくアンマンに滞在するので私のイラク人の友人にも会うことになった。
今晩、スレイマンの友人のカミースさんにJVCが預かってきたサッカーボールを渡す。カミースさんは明日の午後、バグダッドに出発の予定。彼は昨日、アンマンに到着してホテルまで会いに来てくれたのだけど、バグダッド街道は今のところ危険ではなさそう。ただ、検問がたくさんあるらしい。明日の帰り道は大丈夫だろうか。カミースさんは韓国のワンボックス車を購入したらしい。せっかくの車がずっとずっと無事でありますように。
とは言っても、イラク人にしてみればアメリカ人に仕切られるよりはイラク暫定政府に期待したいところ。そんな感じもかなりあるよう。戦争直後にみんなが「アメリカンドリーム」を見ていた頃にちょっと似てるけど、モチベーションはかなり下がっている感じ。でも、アルジャジーラの一件でだいぶ評判は落ちたみたい。ノーテンキに見えるヨルダンの人々も「そりゃ、ないだろう!」と憤慨。パレスチナ人のある人は「アラウィ首相はシャロン首相に似てきた」と言い出す始末。
夕べ、珍しくヨルダンの下町一帯が停電していた。そんな時、一人のイラク人ドクターがホテルにやってきた。バグダッドからだった。正確に言うと、在イエメンイラク人ドクター。彼はバグダッドに13日間滞在したとのことだった。停電の間、ろうそくの灯りのもとでイラクのことを色々話した。私もついつい食いつくように質問しまくってしまった。バグダッドにいる彼の家族は無事らしいが、イラクは本当に大変な状況だよと教えてくれた。「バグダッドは良い方だよ」と彼は言った。そして、やっぱりアラウィ首相はとんでもない!と怒りをあらわにしていた。彼は温厚そうな人に見えたけど、言うことはなかなか厳しかった。パレスチナの人と同じ、なぜ抵抗し武器を持って戦わなければならないか、世界は知らないのだと訴えていた。そして、イラクのあちこちで戦闘が起きているが、それは戦う権利であり、彼らの尊厳でもあると力説するのだった。
私は、「そうは言っても、あなたはイエメンに帰ってしまうし、実際に戦う人たちは戦えば戦うほど家族や同胞を失っていく。暴力で復讐しても解決にならないのではないか?」と聞いた。彼は、最初のうちはものすごい勢いで武力による抵抗運動を賞賛し、それしか方法なんてあるものか!と言っていたが、私も力説を始めたら、本来の柔和な人に戻った感じで、「そこに希望があるならば」というようなことを言った。私は「長旅で疲れているところいろいろ質問してごめんなさい」と言うと、彼は「実に興味深い話ができたよ」と言ってくれた。しばらくアンマンに滞在するので私のイラク人の友人にも会うことになった。
今晩、スレイマンの友人のカミースさんにJVCが預かってきたサッカーボールを渡す。カミースさんは明日の午後、バグダッドに出発の予定。彼は昨日、アンマンに到着してホテルまで会いに来てくれたのだけど、バグダッド街道は今のところ危険ではなさそう。ただ、検問がたくさんあるらしい。明日の帰り道は大丈夫だろうか。カミースさんは韓国のワンボックス車を購入したらしい。せっかくの車がずっとずっと無事でありますように。
by nao-takato
| 2004-08-11 00:51
| 9条/対話