9月22日 殺されそうになるって、どういう感じですか?
2004年 09月 22日
函館から青森各地を5日間連続で報告会に歩いた。最後は14年も続いている『ピースエッグ』というイベントだった。青森の山の中の研修センターで高校生や大学生を含めた150人くらいと2日間を過ごした。周りには牛が放牧されていて、研修センターには「平和」を学びたい人たちがたくさんいて、「平和」だった。みんな本当に一生懸命に生きてた。集団になじめない人も、時に1人でどこかに隠れて深呼吸しながら、最後にはみんなの前でギターを弾いて歌っていた。そんな彼の歌声を聞きながら、私は思う。「一生懸命に生きることはこんなにも生きにくいことなのか」、と。
私はいい刺激を受け、彼らの姿に励まされた。そしてすごくたくさんのことを学んだ。けれど、1つだけ辛いことがあった。それは心に強烈な痛みをともなった。「すっかり元気になって」「本当のところ、あれって演出だったんですか?」「怖かったですか?」本当にやさしく声をかけてくれる人たちに心から感謝して止まないのに、そういう言葉たちに対して私の心が持ち堪えられたのは、これがギリギリだった。もう1日その場にいたら、私は彼らの前で取り乱してしまったかもしれない。
イラクに行く時、「死の準備」はしていた。けれど、迫り来る「殺される」という恐怖が数日間続き、私の中で「殺されたくない、生きたい」という激しい欲望が肥大していった。それを思い出すことはまだ苦しさを覚える。笑い飛ばすなんてできない。あの時のことを思い出しながら、「死」とか「殺される」という恐怖の説明を立て続けにできるほど、私は回復していないことがわかった。膿を出すように、嘔吐しながら書いた本の内容をなぞりながら、相手に伝わるようにと願いながら言葉に出してみる。日本は「死」が隠されている所だ。それが「生」に影響を及ぼしてきてしまっているのだと思う。あの時のことを1つずつ答えていくことでしか命の重みを伝えられないのだとすれば、私はそうしたい。でも、全部に答えられるほど私は強くないし、元気でもない。もう、無理はしないと心に誓った。1つ1つ丁寧に答えられるように、もう絶対に無理はしない。
青森からは飛行機で千歳に戻ってきた。三沢空港は軍用機が頻繁に飛んでいて、それらが戦地に向かう大忙しの時は、民間機がキャンセルされる。もちろん、軍用機が優先なのだ。それがイラクの上空を飛び回っているのでしょう。この関係性を目の当たりにして、「要するに日本は非戦闘地域だな」と思う。
青森の山の中はネットがつながらなかったので、数日ぶりにメールボックスを開ける。スレイマンから子どもたちがヘアカットのトレーニングを受けている様子の写真やレポートが送られてきた。うれしくて、うれしくて思わず顔がほころんだ。インターネットカフェが閉まっていることが多い地域のカスムには電話をしてみた。ラマディは2日前から空爆や戦闘が停まり、今は落ち着いているとのこと。でも、ファルージャはいまだ近づけない状態で、空爆地域の住民はハッバニーヤ湖に疎開しているらしい。カスムも家族をどこか遠くに避難させたいと思っているらしい。昨年、ハッバニーヤ湖にはファルージャ総合病院に医薬品を届けた帰りに立ち寄ったことがある。あの時は米軍が駐留していたが、今はいないらしい。ハッバニーヤ湖は大きなリゾート地だ。大きなホテル、コテージが立ち並び、ゲームセンターや公園、湖畔には水遊びをする村の子ども達が数人いた。あの頃はさすがに客足は途絶えていたが、戦前は週末になると大変な賑わいだったそうだ。
ラマディの方が落ち着きを取り戻してきているので、カスムたちはラマディの学校の修復に先に着工したいのだがどう思うか、と聞いてきた。この1年、ラマディも本当に空爆されまくった。学校を建て直し、少しでも雇用を創出したいし、せっかく再建という前向きな方向に向いてきた若者が心離れをしてしまうのはセツナイ。ファルージャ再建計画は、私たちが拘束された同じ時間、同じエリアで亡くなっていった人たちに哀悼の意を捧げようと考えた。けれど、ファルージャにこだわってプロジェクトそのものが止まってしまうのはもっとセツナイ。プロジェクトは続けるべきだろう。彼らが「働きたい」と願っているのだから。
治安の安定化を目指して治安が悪くなっているこの状況。混乱を極めていて、近づくなと言われているこの状況下で、それでも歩みを止めようとしない私たちは馬鹿げていると思われるかもしれない。でも、それでもいいや。本当に小さな結果しか出せないかもしれないけど、せっかく出てきた芽を摘み取るよりは水を注ぎたい。その水は、「愛という名の水でできている人間」から零れ落ちるもの。報告会で集めていただいた寄付金は、イラクの地に花を咲かせることでしょう。写真は先日カスムが送ってきたもので、ファルージャ近郊で米軍の家宅捜索を受けた家の女の子。殺されそうになるって、どんな感じだと思いますか?

私はいい刺激を受け、彼らの姿に励まされた。そしてすごくたくさんのことを学んだ。けれど、1つだけ辛いことがあった。それは心に強烈な痛みをともなった。「すっかり元気になって」「本当のところ、あれって演出だったんですか?」「怖かったですか?」本当にやさしく声をかけてくれる人たちに心から感謝して止まないのに、そういう言葉たちに対して私の心が持ち堪えられたのは、これがギリギリだった。もう1日その場にいたら、私は彼らの前で取り乱してしまったかもしれない。
イラクに行く時、「死の準備」はしていた。けれど、迫り来る「殺される」という恐怖が数日間続き、私の中で「殺されたくない、生きたい」という激しい欲望が肥大していった。それを思い出すことはまだ苦しさを覚える。笑い飛ばすなんてできない。あの時のことを思い出しながら、「死」とか「殺される」という恐怖の説明を立て続けにできるほど、私は回復していないことがわかった。膿を出すように、嘔吐しながら書いた本の内容をなぞりながら、相手に伝わるようにと願いながら言葉に出してみる。日本は「死」が隠されている所だ。それが「生」に影響を及ぼしてきてしまっているのだと思う。あの時のことを1つずつ答えていくことでしか命の重みを伝えられないのだとすれば、私はそうしたい。でも、全部に答えられるほど私は強くないし、元気でもない。もう、無理はしないと心に誓った。1つ1つ丁寧に答えられるように、もう絶対に無理はしない。
青森からは飛行機で千歳に戻ってきた。三沢空港は軍用機が頻繁に飛んでいて、それらが戦地に向かう大忙しの時は、民間機がキャンセルされる。もちろん、軍用機が優先なのだ。それがイラクの上空を飛び回っているのでしょう。この関係性を目の当たりにして、「要するに日本は非戦闘地域だな」と思う。
青森の山の中はネットがつながらなかったので、数日ぶりにメールボックスを開ける。スレイマンから子どもたちがヘアカットのトレーニングを受けている様子の写真やレポートが送られてきた。うれしくて、うれしくて思わず顔がほころんだ。インターネットカフェが閉まっていることが多い地域のカスムには電話をしてみた。ラマディは2日前から空爆や戦闘が停まり、今は落ち着いているとのこと。でも、ファルージャはいまだ近づけない状態で、空爆地域の住民はハッバニーヤ湖に疎開しているらしい。カスムも家族をどこか遠くに避難させたいと思っているらしい。昨年、ハッバニーヤ湖にはファルージャ総合病院に医薬品を届けた帰りに立ち寄ったことがある。あの時は米軍が駐留していたが、今はいないらしい。ハッバニーヤ湖は大きなリゾート地だ。大きなホテル、コテージが立ち並び、ゲームセンターや公園、湖畔には水遊びをする村の子ども達が数人いた。あの頃はさすがに客足は途絶えていたが、戦前は週末になると大変な賑わいだったそうだ。
ラマディの方が落ち着きを取り戻してきているので、カスムたちはラマディの学校の修復に先に着工したいのだがどう思うか、と聞いてきた。この1年、ラマディも本当に空爆されまくった。学校を建て直し、少しでも雇用を創出したいし、せっかく再建という前向きな方向に向いてきた若者が心離れをしてしまうのはセツナイ。ファルージャ再建計画は、私たちが拘束された同じ時間、同じエリアで亡くなっていった人たちに哀悼の意を捧げようと考えた。けれど、ファルージャにこだわってプロジェクトそのものが止まってしまうのはもっとセツナイ。プロジェクトは続けるべきだろう。彼らが「働きたい」と願っているのだから。
治安の安定化を目指して治安が悪くなっているこの状況。混乱を極めていて、近づくなと言われているこの状況下で、それでも歩みを止めようとしない私たちは馬鹿げていると思われるかもしれない。でも、それでもいいや。本当に小さな結果しか出せないかもしれないけど、せっかく出てきた芽を摘み取るよりは水を注ぎたい。その水は、「愛という名の水でできている人間」から零れ落ちるもの。報告会で集めていただいた寄付金は、イラクの地に花を咲かせることでしょう。写真は先日カスムが送ってきたもので、ファルージャ近郊で米軍の家宅捜索を受けた家の女の子。殺されそうになるって、どんな感じだと思いますか?

by nao-takato
| 2004-09-22 19:56
| 心/瞑想