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フィリピンのレイテ島で戦死した叔父の慰霊に行ってきました。

私の叔父は旧日本軍陸軍兵士でした。
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長野県の信濃町の郵便局に勤めていましたが、
22歳で出征。
父によると、昭和24年頃に戦死の報せが家族の元に届き、
1945年7月1日フィリピンのレイテ島カンギポット山にて戦死
と書かれてあったそうです。

レイテ決戦の様子を調べれば、
おそらく餓死だったのではないかと思われます。
26歳でした。

このたび、10年越しの計画「レイテ島慰霊の旅」を、
やっと実現することができました。
父も、体が許せば行きたいと言っていましたが、
レイテ島の慰霊碑まではなかなかハードな旅路となるので、
今回は断念しました。


韓国経由で深夜にセブ島へ。
早朝、空港からフェリー乗り場に移動し、
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そこから船で3時間、レイテ島へ。
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レイテ島オルモックに到着。
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宿で、案内人の方と落ち合う。
アジアの国々の「戦没者慰霊碑巡り」をされている方です。
事前にフィリピン情報などいろいろ教えていただきました。
レイテ島カンギポットの慰霊碑には2回行っていて、
カンギポット山の頂上にも登ったことがあるそうです。


カンギポット行きの打ち合わせをした後は、
オルモック市内にあるフィリピンの人々の慰霊碑や、
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旧日本軍と戦ったゲリラ兵の像、
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米軍とのオルモック市街戦で日本軍兵士が籠城した
通称「コンクリートハウス」を訪ねました。
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フィリピン2日目。
いよいよカンギポット山の麓にある慰霊碑を目指します。
昨日はあんなに快晴だったのに、今日は曇天。
まずは、オルモックのバスターミナルから乗り合いバスで小1時間、
ビリヤバ村に向かいました。

終点のビリヤバ村から、
今度はバイクタクシーでさらに40分、山奥の村へ。
雨が降ったりやんだり、ぬかるんだ道。
なかなかハードな山道でした…

途中、私の乗っていたバイクが壊れて走行不能に...
するとそこに反対側から降りてきた1台のバイク。
困ったドライバーがすかさず声をかけました。
修理を手伝ってもらうのかと思いきや、
「そっちに乗れ」との指示。

二人のドライバーにきっちりと料金の確認をしてから(ここ大事)、
2台目のバイクに乗って、さらに悪路を進みました。

慰霊碑のある村に着いたらバイタクを降りて、
今度は歩いて山道を進みます。
森が深くなって来ました。


泥に足を取られながら20分くらい行くと、
石積みの慰霊碑が見えてきました。
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その後ろにカンギポット山。
曇り空でもはっきりとその姿を現してくれました。
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深いジャングル。
ここに数万の兵士たちが、
暑さと雨の中、戦い、彷徨い、餓えと病気に苦しんだ。
叔父さん、最期に何を思っていましたか。
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カバンの中から、祖父母の写真を出してその景色を見せました。
おじいちゃん、おばあちゃん
息子が眠るレイテ島だよ、カンギポットの山だよ。


軍服姿の叔父の遺影を取り出し、
慰霊碑の前で法要を執り行いました。

日本で録音してきた
叔父の戒名、俗名を入れて読んでもらったお経を流します。
鈴の音がカンギポットの森に響きました。

法要のあとは叔父と祖父母の写真を献花台に並べ、
父が叔父宛の手紙を読み上げた動画を流しました。


「... 兄さんの帰りを開拓で入った北海道でずっと待っていた...」
スマホから漏れる父の声が、
急に強く降り出した雨音と混じりました。


日本軍兵士、地元の人々、ここで失われたすべての命に
鎮魂の祈りを捧げました。

雨はいっそう強くなり、
ジャングル全体が泣いているようでした。


・・・・・


先の大戦で最も日本兵が亡くなったのがフィリピンでした。
その数、およそ50万人。
そして、日本とアメリカの戦争でありながら、
フィリピンの人々も100万人(※ゲリラ兵含む)が亡くなっています。
フィリピンのほとんどの島に慰霊碑や戦跡があります。


セブ市内にある南方第十四陸軍病院の慰霊碑。
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そして、「セブ観音」で手を合わせました。
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叔父の導きでやってきたフィリピン。
私のファミリーヒストリー。
とても特別な場所になりました。

レイテ島のジャングルで誓ったこと。

戦争はしない。

そのために、

私は、
私が見たイラク戦争を
一生語り続けていこうと思います。


<参考資料>


by nao-takato | 2019-01-11 02:19 | 平和/対話

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


by nao-takato