9月16日 隙間から覗いたイラク
2004年 09月 17日
昨日は函館で報告会をした。事件前に訪れた函館の病院。事件後、北海道では初めての報告会がこの同じ場所で、なんとも感慨深いものがあった。報告会が終わってからは、前回と同じ居酒屋で親睦会。弘前大学の学生3人も最後まで残っていた。携帯電話にはイタリア人からの電話が数回。
今日の昼に、その弘前大学の学生3人と函館駅で待ち合わせた。1人は札幌に行き、2人は弘前に戻るという。特急電車スーパー白鳥で青森駅までご一緒させてもらった。車中はエイズや原発の話をした。六ヶ所村が近いこともあって、学生も関心が高いのかな。この前、アンマンに来ていた「ヒバクシャ」の鎌中ひとみ監督が六ヶ所村は凄すぎる!と力説していたことを思い出す。
午後6時からの報告会の前にメールをチェックしたら、カスムとスレイマンから写真が送られてきていた。カスムは修復完了の学校の写真。4月の空爆では無惨な姿をさらしていたけれど、とってもきれいになっていた。壁を薄いグリーンにしたのも、戦場に暮らす子供たちに穏やかな気持ちを持ってほしいという彼らの願いが込められている。以前、カスムがそう話していたことを覚えている。
スレイマンからはボーイズの写真が送られてきていた。ディアード、マジッド、アッバース、ハイダが写真の中で笑ってた。みんな順番に仕事が決まってきているとのこと。スレイマンは「日本の娘はイラクの父親をこき使う。渋滞の中、私は大変だったんだぞ!」と愚痴っているが、それはスレイマンが一つ成し遂げたという達成感があるからこその発言なのを私は知っている。彼をよく知る人ならわかると思う。けれど、実際には彼が大変な思いをしているのは渋滞だけではなくて、至るところにある死と恐怖。私はメールを読んで、近い将来必ずスレイマンのお手伝いに行くんだと決めた。
イタリア人拘束事件や、新たな拘束事件で気が滅入るだけ滅入っているところに朗報だった。まさに、朗報。すがりたくなるような、朗報。
イタリア人のことを考えると、自分が拘束されていた時のことを思い出す。のど元に何か圧迫感を感じる。私が拘束されていた時、彼女たちも含めいろいろ動いてくれていたということを聞けばなおさら、何かしたいと思うのだけど方法が見つけられない。誰が何の目的でやっているのかがわからないから、へたな動きや言葉が相手の気に障ったらのど元のサーベルが動いてしまうのではないかと思ってしまう。イタリアに来てほしい、という話もあるのだけど行った方がいいのか行かない方がいいのか。どっちがベターなのかわからない。彼女たちがよい扱いを受けていると信じたい。
報告会でこのイタリア人の拘束の話をするのだが、このことを知らない人が多いことにびっくり。私は、今日本でイラクのこを伝えていくことが必要なのかもしれないなと思う。今まで、十分にやってきていなかったから。それまで、イラク人の憎しみの火消し作業に一生懸命になっていて、冷めきった日本人に十分ファイヤーしてこなかったな、と改めて思う。自分の見たイラクをもっと放出しないとな、と思うのだ。
カスムから送られてきた写真はラマディの修復を終えている学校。ファルージャにもカスムたちが修復を終えた学校があるのだけど、写真を撮りに入れない。地元の寄付や建築資材の提供を受け、イラク人の力だけでやり遂げた再建プロジェクトの完成図。どうかどうか壊されませんように。カスムは連日の空爆の合間にこの写真を撮りに行ってくれた。とりあえず、きれいになった学校をみてください。最後の2枚は4月のファルージャ虐殺の痕。





今日の昼に、その弘前大学の学生3人と函館駅で待ち合わせた。1人は札幌に行き、2人は弘前に戻るという。特急電車スーパー白鳥で青森駅までご一緒させてもらった。車中はエイズや原発の話をした。六ヶ所村が近いこともあって、学生も関心が高いのかな。この前、アンマンに来ていた「ヒバクシャ」の鎌中ひとみ監督が六ヶ所村は凄すぎる!と力説していたことを思い出す。
午後6時からの報告会の前にメールをチェックしたら、カスムとスレイマンから写真が送られてきていた。カスムは修復完了の学校の写真。4月の空爆では無惨な姿をさらしていたけれど、とってもきれいになっていた。壁を薄いグリーンにしたのも、戦場に暮らす子供たちに穏やかな気持ちを持ってほしいという彼らの願いが込められている。以前、カスムがそう話していたことを覚えている。
スレイマンからはボーイズの写真が送られてきていた。ディアード、マジッド、アッバース、ハイダが写真の中で笑ってた。みんな順番に仕事が決まってきているとのこと。スレイマンは「日本の娘はイラクの父親をこき使う。渋滞の中、私は大変だったんだぞ!」と愚痴っているが、それはスレイマンが一つ成し遂げたという達成感があるからこその発言なのを私は知っている。彼をよく知る人ならわかると思う。けれど、実際には彼が大変な思いをしているのは渋滞だけではなくて、至るところにある死と恐怖。私はメールを読んで、近い将来必ずスレイマンのお手伝いに行くんだと決めた。
イタリア人拘束事件や、新たな拘束事件で気が滅入るだけ滅入っているところに朗報だった。まさに、朗報。すがりたくなるような、朗報。
イタリア人のことを考えると、自分が拘束されていた時のことを思い出す。のど元に何か圧迫感を感じる。私が拘束されていた時、彼女たちも含めいろいろ動いてくれていたということを聞けばなおさら、何かしたいと思うのだけど方法が見つけられない。誰が何の目的でやっているのかがわからないから、へたな動きや言葉が相手の気に障ったらのど元のサーベルが動いてしまうのではないかと思ってしまう。イタリアに来てほしい、という話もあるのだけど行った方がいいのか行かない方がいいのか。どっちがベターなのかわからない。彼女たちがよい扱いを受けていると信じたい。
報告会でこのイタリア人の拘束の話をするのだが、このことを知らない人が多いことにびっくり。私は、今日本でイラクのこを伝えていくことが必要なのかもしれないなと思う。今まで、十分にやってきていなかったから。それまで、イラク人の憎しみの火消し作業に一生懸命になっていて、冷めきった日本人に十分ファイヤーしてこなかったな、と改めて思う。自分の見たイラクをもっと放出しないとな、と思うのだ。
カスムから送られてきた写真はラマディの修復を終えている学校。ファルージャにもカスムたちが修復を終えた学校があるのだけど、写真を撮りに入れない。地元の寄付や建築資材の提供を受け、イラク人の力だけでやり遂げた再建プロジェクトの完成図。どうかどうか壊されませんように。カスムは連日の空爆の合間にこの写真を撮りに行ってくれた。とりあえず、きれいになった学校をみてください。最後の2枚は4月のファルージャ虐殺の痕。





by nao-takato
| 2004-09-17 03:09
| 支援/プロジェクト