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4月12日 命の重さ

この1年。翻弄された1年だった。あれから毎朝、目が覚めると「生きている」と確認するようになった。5年前から始めた食前の祈りはより長く、そして深くなった。食卓に彩られた「命の祭典」を祝い、敬い、出会った人々への想い、そして命のつながりをよりいっそう思い描くようになった。私の命がこの命たちによって永らえている。その感覚が強くなったと思う。イラクに行った時も同じことを思っていた。私は命を大切に思う。理不尽に殺されていくあの人たちも命は大切に違いない。そう強く思うから他人事と思えなかった。命が何よりも大切だと信じて私はイラクに向かったことは以前も今も変わらない。今もそう思うことには変わりはない。ただ、その感覚がより強烈に私の細胞を刺激するようになった。時折、その重さがのしかかってくるように感じることもある。きっと、この重さが「命の重さ」なのだろう。

この1年、泣いた。涙が枯れる、って言葉のとおり、泣いた。私の周りで命をなくした人のことを思うと泣けてくる。「よく泣きますねぇ」なんて言われるけど、きっとその人より私の方が「イラク」と「死」が身近なんだと思う。周りで命が理由もなしに立て続けに亡くなっていくのに笑ってられない。その人にとってはイラク人が何人死んでもおかまいなしと思っても、私には友人が死んだということだから、とっても悲しいし泣けるよ。ファルージャが攻撃された映像を見て、私は気が狂っていた。その姿を見て母は泣いていた。誰かが私のそんな姿を見たら、きっと病院に運んで手足を縛っただろうね。他人のことでこんなに泣くなんてきっとアタマオカシイってね。どれだけイラクと深く関わらなければならないのか、不安を覚えるほどにイラクが近い。イラクで命を亡くしていった人すべてが近く、そして胸に痛みを伴って思い出す。

今の私にとっての大きなテーマはやはり「死」だ。今まで看取ってきた死は私の中で受け止められた。けれど、今私の目の前で繰り広げられている死は、あまりに無意味すぎる。あまりに乱暴すぎる。どう、どう受け止めろというのだろうか。それが私にとって「イラク」、そして「戦争」というものに向き合う最大の理由かもしれない。

この1年。人の恐ろしさに傷ついた1年だった。そして、人のやさしさに触れた1年だった。情緒不安定な私を受け入れてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
by nao-takato | 2005-04-12 18:02 | 心/瞑想

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


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