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昨年書いたイラクの「反政府デモ」についての拙文です。

昨年末からファルージャとラマディのみんなが大変な日々を送っています。
戦闘は激しく、戦車砲や空爆も無差別に飛んでくるとのことでした。
物流が止まってしまい、
燃料や食料が入手困難、価格高騰。
自宅から出られない、
あるいは市内から避難せざるを得ない人たちがいます。

報道で盛んに「ファルージャがアルカーイダの手に落ちた」と流れていますが、
基本的に政府側の意見なのでそのあたりは気をつけたいと思います。
現地の声は、イラク軍の攻撃に脅威を感じているという印象が強いです。

政府が「アルカーイダの拠点となっている」としたラマディのデモ本部ですが、
昨年、そこを訪れる機会がありました。
その「反政府デモ」について書いたものを以下に貼付けます。
(昨年の週刊金曜日3/22号に掲載されたものです)
1年前なのでなんらかの変化はあるかもしれませんが、
これもイラク情報の一つに加えていただければ幸いです。

昨年書いたイラクの「反政府デモ」についての拙文です。_b0006916_11351685.jpg

昨年書いたイラクの「反政府デモ」についての拙文です。_b0006916_11382336.jpg


(原文)
 バグダッドに最近開店したというショッピングモールが若者に人気だ。町の様子を車の中からじっと眺めていると、長い髪を揺らし、膝丈のスカートをはいた女性たちの姿をちらほら見かけた。「バグダッドらしさ」を取り戻したように見える。

 興味深かったのはバグダッドのタクシーだ。十年前は、白とオレンジのツートンカラーの古いトヨタや日産だった。米軍占領下となり、フォードやシボレーなどの大きなアメ車が普及した。ところが、今回見たバグダッドのタクシーはほぼすべて小型の黄色いサイパ。イラン車だ。イラン系シーア派のマリキ政権の恩恵がこんな所に現れている。

 ちなみに、マリキ首相退陣要求のデモが拡大するスンニ派多勢のアンバール州ではイラン車タクシーはまず見かけない。圧倒的に韓国車か中国車。あるいはクラシックカーのようなトヨタクラウンが「戦乱を生き抜いた」といった風情を漂わせてガタガタと走っている。

 勢いのある韓国は若者のハートもつかんでいる。現在イラクで最も治安が悪いと言われている北部モスルで印象深かったのは、韓流ドラマの人気ぶりだ。ドラマに興奮した女子高生がパソコンを開いて好きな韓流アイドルの写真をとびきりの笑顔で見せてくれた。

 復興の兆しが見える一方、「宗派対立」は、イラク戦争がもたらした最も甚大な「負の遺産」であり、今も人々を苦しめている。
 
 昨年末に始まったマリキ首相退陣要求のデモは、数年間鬱積していた政府の「スンニ派差別」に対する怒りが集結した形だ。デモが拡大するにつれ、当局のメディアに対する規制は厳しさを増している。

 バグダッドのアダミヤ地区では、イラク警察によりデモ拠点のモスクが包囲されたり、地元の報道陣が閉め出されたりしている。市内の道路があちこち閉鎖されるため、金曜日のバグダッドは身動きが取れない。

 一月にはフランス人記者がバグダッドのドーラ浄水場で写真を撮影した直後に逮捕された。数日後、彼の助手と、彼を自宅に泊めた私の友人も逮捕。三週間後に釈放されたが、八〇万円の罰金が課せられた。

 二月にイラク入りしたオーストラリア人ジャーナリストによると、外国人が比較的自由に出歩ける南部バスラでさえ、当局発行の撮影許可書を見せなければ、人々は取材に応じてくれず、検問所にさしかかると同行のイラク人たちはカメラが見つかることをひどく怖れているという。

 私のファルージャでの医療支援活動を撮影しに来た日本人カメラマンは、バグダッドの空港や検問所で「医療支援チームだ」と言い張らなければならず、デモを撮影したかどうかの質問もされていた。

 ファルージャとバグダッドの間に位置するアブグレイブは宗派の境界線のようになっている。米軍の虐待でその名を知られたアブグレイブ刑務所は、現在イラク軍が駐留している。刑務所を囲む塀や、周辺の検問所にはシーア派の象徴であるイマーム・フセインの旗があちこちに掲げられている。この検問所を通るアンバール州の青年たちはデモついての意見を聞かれており、バグダッドに行くことを恐れる人も多い。

 一方、反政府デモの中心地であるイラク西部アンバール州内(スンニ派地域)の検問所や警察はだいぶ様子が違う。この地域のイラク警察は各自治体の自警団的要素が強く、警察官は地元出身者のみで編成されているため、市民との関係が良好である。毎週金曜日のデモも、二四時間体制の「テント村」もイラク警察がセキュリティを担っている。

 スンニ派デモの中心地ラマディのデモを運営しているのは一五〇の部族だった。各部族一テントずつ、合計一五〇張の大きな蒲鉾型テントがハイウェイ沿いに連なり、巨大な「テント村」を作っている。内部には、学生部、メディア部、クリニックなどがあった。

 メディア部のテントでは青年たちがノートパソコンを使ってフェイスブックで発信したり、海外メディアの対応などをしていた。

「デモはどの政党が中心になっているのか?」と聞くと、メディア担当から「政党は一切お断りしています」との答えが返ってきた。広く支持を得るために中立性を保とうとしているらしい。

 十年前には考えられないほど、人々が「洗練」されていることに驚く。メディアに翻弄され、外国人武装勢力の加勢を受け、政治家に利用されてきた結果、自らの命を脅かす結果を招いた苦難の日々が人々を進歩させたのか。

 デモの最大の要求は、反テロ法撤廃だ。報道を見ていると、「アルカーイダ系武装勢力がシーア派市民を狙ったテロで、宗派対立を煽っている」という結びの一文がつくことが多い。しかし、アルカーイダ系ではないスンニ派市民は、イラク政府が宗派対立を煽っていると口を揃える。その最大の理由がこの反テロ法である。

 スンニ派市民はこの法律がスンニ派だけをターゲットにしており、反体制派を駆逐する道具になっていると訴えている。実際、二〇〇五年にこの法律が施行されてから、数万のスンニ派市民が不当逮捕され、拷問死させられてきた。私の周りでも犠牲になった人たちがいる。

そして、そのことを主張した国会議員もターゲットになってきた。タリク・ハシミ副大統領はテロ首謀者として逮捕状が出され、欠席裁判で死刑が確定し、現在トルコに亡命中。

イサウィ財務大臣のボディガード十名も同じ罪状で連行されたが、後に釈放された。この事件をきっかけにデモは始まっている。

 イラク政府は、反テロ法により収監されているのは三万人と発表しているが、スンニ派市民は公表されていない「秘密刑務所」の囚人がカウントされていないと主張している。

政府は、女性囚人はほとんどいないとしているが、イラクの人権団体はおよそ五千人が不当逮捕されているとしている。

 バグダッドの友人(スンニ派)は、近所でイラク治安部隊が「スンニ派狩り」を行った時、若い女性が乳飲み子と共に連行されていくのを目撃したという。こうした話は枚挙に暇がない。
   
 たいていの場合、女性はその夫や親戚の男性を捕まえるための “人質”として連行されている。そして、男女問わず刑務所内では拷問や虐待が加えられ、自白強要が行われている。どれもこれも米軍が新生イラクに伝授したやり方だ。

 イラクの反テロ法は、罪状確定すれば死刑か終身刑となる。実際にイラクの死刑執行があまりに多く、一日で二十一人が処刑された日もあり、国連や人権団体から何度も懸念が表明されている。

 鉄格子越しに涙を流す女性の写真は、デモ参加者の間で最も多く掲げられているバナー(旗)である。こうした強い訴えが効いたのか、政府は今年に入ってから三三〇〇人以上の男女を釈放し、シャハリスタニ首相補佐官は元囚人たちに不当逮捕だったことを謝罪した。

 政権周辺の中にも、治安部隊の中にこの法律を濫用している者がいることや、シーア派勢力の影響を受けやすいことなどを指摘する声もあるようだ。しかし、反テロ法を無効にすることはイラクの治安を大きく損なうとしてシーア派政党は猛反発している。

 再びイラクが共存社会に戻るには、どうしたらいいのか。あるシーア派宗教指導者がこう説いている。

「ヘイトスピーチをやめ、穏健派の育成をし、宗派を超えた合同礼拝を推進しよう」

 耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が飛び交う昨今の日本においても、傾聴すべき言葉ではないだろうか。(了)


【補足】二〇〇五年にシーア派主導のイラク新政府ができてから、急激に宗教色が強まった。イラク内務省が管轄するイラク警察や治安部隊は、検問所でスンニ派特有の名前やスンニ派多勢の地域出身者を次々と逮捕。連日路上で数十体から100体近く発見される拷問遺体はほぼスンニ派だった。イラク戦争開戦を機に、イラク国内に入ることが許されたスンニ派・シーア派両派の過激派は、それまで宗派を超えて家族を形成していたイラク市民を徹底的に分断していった。
by nao-takato | 2014-01-07 13:32 | ラマディ/ファルージャ

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


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