大義なき戦争、それぞれの10年。

「シリアに行けなくなったからか、
最近またヨルダンに逃れてくるイラク人家族が増えている。
最近は毎月300家族以上は来てると思う。
毎月、新しい家族のフォローアップで忙殺されてるよ」
と某難民支援組織のボランティアが言いました。
特にバグダッドは表面化しないだけで、
まだ脅迫とか誘拐があるようだとのことでした。

UNHCRのイラク難民予算はすでにカットされ、
サポート打ち切りが続出してるわけだし、
新たに支援が出るはずもなく…。
UNもシリア難民で手一杯なんだと思います…。

「孤児(※主に父親を亡くした子)が一気に増えたのよ」
とミーティング中のイラク人ドナーが言いました。

やっぱり新たにヨルダンに来た人たちが多いみたいです。
リストにはびっしりと子どもたちの名前がありました。

と、その間にも支援を求めるイラク人たちが、
ドナーの携帯に電話をかけてくるのでした。
難民の間ではドナーたちの携帯番号が、
「頼みの綱」として知れ渡っていきます…。
しかし、すべてに対応できるわけもなく…。

夕方、ドナーたちと一緒に訪ねた3人は、
最近ヨルダンに来た青年たちで、
全員が半身麻痺で車椅子。

ベラル(26)は2009年、
アハマド(21)は2011年、
ムハンマド(28)は今年ヨルダンにやって来ました。

ベラルはカイム出身、
アハマドとムハンマドはファルージャ、
つまり3人とも米軍が大暴れしたアンバール州からでした。
彼らの体験を聴きました。

2004年のことでした。
ベラル(当時17歳)が自転車に乗っていると、
米軍の車列が近づいてきたので、
自転車を止め、
両手を上げて車列が通り過ぎるのを待っていました。
ところが、一番最後の車両に乗っていた米兵が突然彼に向かって発砲。
ベラルの首と右胸に2発の銃弾…。
ベラルは地元の人たちによってカイム市内の病院に運ばれましたが、
翌日ラマディの病院に搬送され、
さらにバグダッドの病院に移されたそうです。
最初は下半身だけでなく、
手も動かなかったそうですが、
リハビリで回復しました。
現在は、両足が動かず車いすで生活しています。

ベラルが撃たれたこの日、
およそ80人のイラク人がランダムに米兵に撃たれたそうです。
「その日、1人の米兵が何者かに撃たれて死んだんだ。
だから、その報復で無差別攻撃となったのさ。
僕ははそのうちの1人ってこと…」

ムハンマドは、2007年に爆弾に巻き込まれ負傷し、
やはり両足が動かなくなってしまい、
車椅子生活となりました。
今年ヨルダンに来ました。

2007年のことでした。
アハマド(当時17歳)が1人で歩いていると、
突然発砲されました。
すると、屋根の上にいた米兵が、
「Sorry!」と言って去っていったそうです。
以来、彼は下半身不随です。
昨年ヨルダンに来ました。

銃弾も爆弾もその一発は一瞬ですが、
手足を奪われた人々の
痛み、悔しさ、悲しみ、しんどさはずっと続きますね。

イラク人ドナーに
「来年3月でイラク戦争10年だね」と言うと、
こう返ってきました。

「2003年当時、
半年もすれば全部元通りになるっていう人と、
10年はかかるさっていう人がいたんだけど、
10年なんてありえないって思ってた。
なのに、もう10年!?
目の前にいるイラク難民のことでいっぱいいっぱいだったから、
全然思いつかなかった。
信じられない…
元通りになるどころか、
最悪ね…」
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by nao-takato | 2012-11-07 14:53 | 支援/プロジェクト

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


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