イラク出張報告(8)ファルージャの新生児病棟。
2012年 08月 03日

終わらないイラクホープダイアリー連載4回目@平和新聞
<再び「命とは何か」を問う>
(リード)
イラク中西部のファルージャでは、新生児の先天性欠損症や死産が多発し、WHO(世界保健機関)も調査に乗り出しています。7月初旬、この町を医療支援のために訪れました。
ファルージャ総合病院で産まれたハウラは、思わず声を上げてしまうほど可愛い顔をした女の子だ。生後5日だという。四肢を動かしながら、大きな目を時々まばたきさせ、穏やかな表情で私を魅了したが、左腕の先に手指がなかった。
小児科医のサミラ医師は、手元に届いたハウラのレントゲン写真を見て、しばし考え込んでいた。
私は、ハウラをおくるみで巻く母親に「ハウラ、ヘルワ!(かわいい)」とアラビア語で繰り返した。ブルカから覗く目が笑っているのがわかったが、直後に、母親はどんな気持ちでハウラを病院に連れてきたのだろうかと考えた。
■3万人がオペ待ち
翌朝、新生児病棟を回診するサミラ医師についていった。未熟児の赤ちゃんたちが保育器の中で静かに息をしていた。救われたのは、保育器がちゃんと機能していることだ。病院専用の大きな発電機がしっかり回っている。ファルージャの医療環境は、噂どおり良好だ。
サミラ医師が母親に質問をしながら、子どもの胸に聴診器を当て、カルテに書き込んでいく。数人の診察を終えて廊下に出ると、「早産、流産、未熟児が増えている」と彼女はつぶやいた。
アブドゥッラーは小頭症に加えて、腸がないという。生後32日だが、身体はかなり小さい。聴診器を当てられて、か細い声を上げ、皺だらけの顔を歪めた。サミラ医師は小声で「もう長くない」と英語で私にささやいた。若い母親は黙って小さな息子を見つめていた。
昨日産まれたばかりだという赤ちゃんは、肛門がなく、両足が変形していた。両親はショックを受けたらしく、祖母が付き添っていた。名前はまだなかった。
朝のブリーフィングで、サミラ医師が突然、「昨日、5人死んだそうよ」と私に通訳した。驚いた私の顔を見て、「毎日のこと」とスタッフが口を揃える。ファルージャ総合病院の新生児死亡率は約15%だったことを思い出した。イラクは確かに多産だが、この数はやはり多過ぎやしないか?毎日こんなに死んでいいのか?病棟に入ってたった30分で、私はこの現状を消化しきれなくなっていた。
小児病棟に移ると、先天性心疾患、水頭症などの子どもたちがいた。今回、ファルージャに来たのも、先天性心疾患の子どもたちの医療支援に協力・参加するためだ。
アメリカの医療チーム6名が、3日間で12人の子どもたちのカテーテルオペなどを行った。これは非常に画期的だし、元気になった子どもと再会すれば、嬉しくて飛び跳ねたくなるが、オペ待ちの子どもは3万人いると聞き、日々新たな患者が産まれてくる現実に身を置くと、道のりの長さを思わずにいられない。
■「子づくりするな」
若い医師がサミラ医師を呼びにきた。数時間前に産まれたという赤ちゃんは、身体の大きさも標準で、大きな声で泣いていた。しかし、両手両足が変形、動かなかった。付き添っていた母親の妹によれば、この子は6番目だが、他の子たちは特に健康に問題はないという。サミラ医師が白衣のポケットからデジカメを出し、記録を取り始めた。
サミラ医師は、新設された「先天性欠損症専門科」を任せられている。これまで、ファルージャの先天性欠損症について論文を発表してきているが、劣化ウラン弾や白リン弾など米軍使用兵器の影響にもかなり言及している。私としては、イラク環境省の調査したダイオキシンの高濃度汚染も非常に気になっている。
彼女の論文に関して、疫学調査の必要性やリサーチ方法に丁寧にコメントする人もいれば、「ファルージャのデータは大げさ」と触れ回る人や、圧力をかける人たちもいる。それでも、彼女は屈しない。
そんな意思の強いサミラ医師と一緒に新たなプロジェクトを立ち上げようとしているのが、出生前診断に関心を示している産婦人科医のムンタハ医師と、遺伝子治療の可能性を探っている遺伝子学専門のアブドゥルカリーム医師だ。
三人は、このプロジェクト実現のためには技術的なサポートが必要だと熱心に語った。日本の医師の協力を得たいところだ。
一方で、出生前診断をしてなんらかの欠損症が見つかった場合どうするのか?と考えていた。実際、医師たちが、連続で死産や欠損症の子を産んだ夫妻に「子づくりするな」と忠告したり、妊娠を恐れる夫妻もいる。
この事態の「異常さ」に戦慄を覚えた。イラク戦争で多くの命が失われたファルージャは、今ふたたび「命とは何か」を問うている。
(紙面左上写真)
ファルージャ総合病院で子どもたちを診察するサミラ医師(右)=2012年7月(筆者撮影)
(紙面右下写真)
生後5日のハウラ。左腕の先に手指がなかった=2012年7月(筆者撮影)
<追記>

今、サミラ医師に彼の様子を尋ねたところ、
2週間前に亡くなったということでした…。
私がファルージャを去った数日後に…。
アブドゥッラーの映像を見るたび、
彼のか細い泣き声を聞くたびに、
胸が締め付けられる想いがしていました。
本当はもっとお母さんに抱っこしてもらいたかっただろうな。
おやすみ、アブドゥッラー…
合掌
by nao-takato
| 2012-08-03 11:01
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