イラク出張報告(3)子どもたち無事退院!そして、会いたかった人々と訃報。
2012年 07月 16日

術後、ずっと泣いてたジャシムくん(中央)も落ち着いた様子。
マハちゃん(右端)もよくがんばりました!
左端のユーセフくんは、診断オペの結果、心臓外科手術が必要だということでした。
近々、イラク南部のナシリヤかバグダッドで手術が受けられることと思います(-人-)

イラク人のフィラース医師(中央)はこのミッションで素晴らしい活躍をしました!
これで、3日間のうちにオペを受けた子どもたち12人が全員退院しました。

私がファルージャに到着した時は、
ちょうどAFPが病院のマネージャーにインタビューをしている所でした。
この日はロイター通信。
カーク医師たちアメリカの医療チームがインタビューに答えています。
これは、新しい「アメリカ」のイメージを与えることでしょう。
それは、イラクの友人たちが望んでいたことでもあります。
で、そのロイターの記者が、友人のアリだった!(上写真の後ろ姿の男性)
彼はイラク戦争後、8回も米軍に逮捕され、
自宅をアパッチヘリで二度も攻撃をされた体験を持っています。
09年にラマディにある彼の自宅を訪問しましたが、
すべての壁に残るそのおびただしい数の弾痕と、
空爆で半壊した隣家の様は言葉を失いました。
部屋の隅で妻に覆い被さるようにして攻撃が止むのを待った話は胸が痛みました。
久々に会ったアリは痩せたように見えましたが元気そうでした。


その晩、小児科医のサミラ医師(右)に会うことができました!
電話やSkype、メール、Facebookなどでずっとやりとりしてきた彼女に、やっと会えた!
感無量…。
彼女は困難な状況にあっても、どんな圧力にも屈せず、
ファルージャの現状を伝え続けてきてくれた、本当にアメイジングな人です!
初対面でしたが、初めてな感じはまったくしなかったです(^^)

カーク医師たちアメリカの医療チームに彼女たちがこれから取組みたいことを相談していました。
イラクは女性の医師、活躍する人が多いなと感じます。
頼もしいですな(^^)/

ファルージャのプロジェクトパートナーのワセック(中央)。
長いつきあいになります。
私たちはお互いの一番辛い時をよく知っています。
そして、時にぶつかり、軽口叩いて、大笑いします。
来年3月でイラク戦争開戦から10年となります。
今、ここに集まっている人たち、特に男性たちは、
ほぼ全員が米軍に連行されたり、拷問された経験を持ちます。
カーシムもそう。
ワセックも弟と一緒に米軍に連行、虐待された経験があります。
そして、彼らは何度も空爆、狙撃をくぐり抜け、しかしながら身内を亡くしていたりします。
多くの人たちがそうした経験の中で命を落としている中、
彼らが人道支援のボランティアを続け、
こうして再会できるというのはある意味、奇跡だと思うのです。
会うたびにそう思うのです。
会うたびに、遺された家族たちが無事だと直接聞けてホッと胸を撫で下ろすのです。
ところが、この再会の直後、カーシムの携帯に家族から電話が入り、彼の顔色がサッと変わりました。
ラマディ市内で大きな爆弾事件があり、義弟(実妹の夫)が即死したというのです。
こういう時に気の利いた言葉が出てこない。
ただ、ありきたりのお悔やみの言葉をかけるだけ…。
「車の運転、気をつけてよ」と言うと、
ひきつった笑顔で「大丈夫」と言って、病院を出ていきました。
夜中、携帯にメールが入りました。
他にも身内2名(義弟の弟たち)が重傷だと…。
翌朝もらった電話では、二人とも亡くなったとのことでした…。
この爆弾事件の死者は計10名で、内3名はカーシムの身内…。
終わっていない…。
確かに、米軍も撤退し、宗派対立も一頃に比べれば全然落ち着きました。
ひところに比べれば、静かに暮らせる時間も長くなりました。
経済活動も活発です。
それは、間違いありません。
しかし、今もまだ、いつどこで吹き飛ばされるかわからないという緊張感は少なからずあるのです。
そんな中で、彼ら彼女らはどうにか前に進もうとしているのです。
「テロとの戦い」が始まったことにより、イラクに「テロ」が持ち込まれました。
「テロとの戦い」で最も「テロ」の被害を受けたのは、紛れもなくイラク人なのです。
犠牲となった方々に安らかな眠りを…。合掌。
2012年の今、あらためて「イラク戦争とは何だったのか」を考えています。
※カーシムの戦争体験については、→右欄にある書籍紹介『ハロー、僕は生きてるよ。〜イラク最激戦地からログイン〜』に詳しいです。
by nao-takato
| 2012-07-16 21:57
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