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マザーテレサ生誕100年

今年はマザーテレサ生誕100年だった。
今の私は、10年前、インドのカルカッタにあるマザーハウスから始まった。
すでにマザーはいなかったが、そこでボランティアに専念した1年間は新しい私を形作った。
それまでの30年間とはまったく違う人生の始まりだった。

イラクに初めて行ったのはそれから3年後の2003年。
イラク戦争が始まった時だ。
その時もインドからイラクの隣国ヨルダンに飛んで、イラク初入国となった。
カルカッタのシスターたちに、イラクに行くことは告げてあったし、
一時帰国する時も、一旦カルカッタのマザーハウスに寄ってから日本に向かった。

イラクで支援活動を始めてしばらくすると、偶然マザーの施設を発見した。
バグダッドの滞在先ホテルのすぐ近くにあった。
思わず、ドアベルを鳴らした。
白地に青いラインの入った見慣れたサリーを着たシスターが顔を出した。
「カルカッタから来ました」と言うと、
にこやかに招き入れてくれた。
30名ほどの障がい児がいた。
バグダッドの施設は、湾岸戦争直後にできたということだった。
当時、マザーテレサは当時のブッシュ大統領(父)とフセイン大統領に
戦争回避を願う書簡を送っていた。
戦争は避けられなかったが、そのことをきっかけにマザーの修道会は
バグダッドでの活動許可を得る。
施設はフセイン大統領が用意したそうだ。

バグダッドでマザーの施設を見つけた時は、本当にうれしかった。
イラクの現状は悲惨だし、支援は追いつかないし、心細くなる時があったのだ。
だから、バグダッドでシスターたちに出会えたことはそれだけで励まされた。
早めに仕事が終わった日は施設に行って、障がい児の子どもたちの食事介助を手伝った。

しばらくして、私はストリートチルドレンのプログラムのためにアパートを借りた。
不動産屋に案内してもらった物件は、なんとマザーの施設の2軒となり。
私は、イラクでもマザーの近くにいられることに心底感動した。
心強かった。

アパートの門番のハッサンはエジプト人で、
なんやかんやとストリートチルドレンの面倒まで見てくれるいい人だった。
エジプト人つながりで、近所のエジプト人のおばさんも毎日のように私の手伝いをしてくれた。
ドラッグ三昧の子どもたちに不審な目を向けていたイラク人の友人たちも、
毎日このアパートに通い、子どもたちの話を聞くようになっていた。
近所の人たちに助けられながら、路上の子どもたちが自立していく姿を見るのは幸せだった。

あの頃、バグダッドは良かった。
治安は決して良くはなかったけど、人と人がつながっていた。
私は、イラクの絆が好きだった。
ほっとけないと言って、手を差し伸べるイラクの人たちが好きだった。

2004年になって私はイラクから”撤退”してしまった。
それでも、イラクに近づきたくて、絆を保ちたくて、
隣国のヨルダンに通いつめた。
けれど、みるみるうちにイラクは激しい戦火に包まれていった。

2005年、2006年、イラクの治安は「地獄よりも酷い」と言われた。
私の心身も連動し、体調は最悪だった。
精神安定剤や導眠剤を服用するも、心の奥底には届かなかった。
2007年早々、母の強い勧めで、私はインドのカルカッタに戻った。

マザーハウスはいつものように世界中から来るボランティアさんたちでいっぱいだった。
私もその中に紛れて、ボランティア登録の名前を書いた。
登録担当のシスターが、私の名前を読み上げて声を上げた。
「菜穂子、戻ってきたのね!」

驚いた。
シスターは私のことを覚えていてくれた。
「忘れるわけないわ。1年以上もここにいた日本人だもの」
それを聞いて、涙がわっと溢れ出た。
ずっと溜め込んでいたものが体中を回転しながら、涙となって流れ出ていた。

「あなたがイラクで捕まった時、毎日みんなで黒板にあなたの名前を書いてお祈りしてたわ。だから絶対にあなたのフルネーム忘れない」
シスターはそう言って笑った。
そして、こう私に叱咤激励したのだ。
「あなた、ちゃんと瞑想してるの?私たちみたいな仕事をしてる人はちゃんとリトリート(1人で数日間の瞑想に入ること)しなくちゃダメなのよ。あなたは自身で誓願してるんだから」

シスターは、私がクリスチャンでないことも、仏教徒であることも知っている。
でも、シスターがもっと理解してくれていたのは、私がイラクに行った決意だった。
こんなに励まされる言葉を聞いたのは初めてだった。
シスターたちは、世界のどこにいても、毎朝毎晩、お祈りをし黙想をする。
どんな紛争地にいても同じだ。
それが、彼女たちの活動の支えなのだ。

日本人シスターも「おかえり」と言って、事件当時のミサの様子を教えてくれた。
私は、甘えてしまって、溢れる思いを止められずにいた。
シスターは何時間も私の話を聞いて、「クリネックスタイムね」と言ってティッシュをくれた。

次の日、初めてカルカッタに来た頃に一番お世話になったシスターが、
人でごった返すボランティアルームにわざわざ私を探して会いに来てくれた。
こんなにうれしいことはなかった。
シスターは、「会わせたい人がいるのよ。数日前にバグダッドからリトリートのために戻ってきたシスター。きっとあなたと話が合うわよ」

バグダッドにいたシスターはやはり、カルカッタ在住シスターより少し暗い感じがした。
このシスターがバグダッドに入ったのは、2004年。
ちょうど私と入れ替わるように赴任したそうだ。
3年間のバグダッド滞在。
しかも、地獄のイラクに3年か…と私は心の中でつぶやいた。

「カラダ通りはどうですか?」
私は、マザーの施設や私のアパートが面していた通りのことを聞いた。
「もうあそこにはいられなくってね。施設は引っ越したの。本当に地獄のような日々だった。教会も狙われてね。脅迫が続いたし、通りは殺人通りのようだった。ある時、道にいつまでも放置されたスーツケースがあってね、誰かが開けたら、女性の遺体だった。レイプ殺人が横行してたの」

私が爆弾事件に2回遭遇した話をすると、「爆弾は数え切れないわね」とシスター。
相当過酷な状況に追い込まれていたことがわかった。

「私のアパートの門番、エジプト人のハッサンおじさんはどうしてますか?」と聞いてみた。
「あぁ、彼ね…。殺されてしまったの…」
そんな答えが返ってくるとは思わなかった。
でも、そんなことが誰に起きてもおかしくないイラクの状況だった。

2003年の国連撤退を皮切りに国際NGOは2004年末までに全部撤退したのだが、
マザーの修道会に「撤退」の文字はない。
「私たちはその国の人たちと共にいるのよ」と、どのシスターたちも笑顔で答える。
本当にマザーのシスターたちはイラクから一度も退避していない。
世界125カ国以上にシスターたちがいるが、紛争地も多い。
ゲリラに狙われて亡くなった方もいると聞いたことがある。

バグダッド在住のシスターはカルカッタでリトリートを終えたら、
今度はヨルダンで活動するのだと言った。
私たちは「ヨルダンでまた会いましょう」と約束をした。

私もインドで自分のリトリートを終えた後、イラク支援のためにヨルダンに行った。
ヨルダンのアンマン市内にある修道会で、シスターとの再会を果たした。
二人でいろんな話をした。
イラクでイスラム教の宗派対立が起きてからは、
キリスト教徒はもっと居場所がなかったと吐露していた。

そして、2010年。
先月、ヨルダン滞在中にマザーハウスのシスターたちに会いたくなって、
アンマン市内の教会を訪ねた。
バグダッド在住だったシスターは今、パレスチナにいるとのことだった。
そして、前日に1人のシスターがバグダッドに行ったことも教えてくれた。

夕方の礼拝に参加し、1時間ほど黙想をした。
その後、1人のシスターが「ちょっと来て」と言って私を別の部屋に連れていった。
「全員、イラク人よ」
部屋はびっしりと人で埋まっていた。
「みんな、最近ヨルダンにやって来た人ばかり」

10月にバグダッドの教会で大きな襲撃があってから、
あちこちでクリスチャンの窮状を聞いていたが、目の前の光景はショックだった。
祈りの声が細く弱々しく聞こえた。
その中に入っていくことさえためらわれるほどだった。
それでも、宗教が戦いの道具にされることに強く抵抗する意思ははっきりと伝わってきた。

私は、マザーテレサに憧れる。
宗教人としてではなく、人間として。
戦火の中でもひるまなかったその姿に感動する。
マザーの活動は、絶え間なく続く。
シスターたちがその遺志をちゃんと受け継いでいる。
淡々と、粛々と、その姿、強く、凛々しく。

崖っぷちにいた私を救ったのは、神ではない。
神を信じ、キリストにすべてを捧げると祈りながら、
本当にすべてを捧げてしまう人たちだ。
それを、その人たちは「神がお救いになった」と言うけれど。
by nao-takato | 2010-12-24 00:14 | 心/瞑想

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


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