爆弾で家族全員を失ったハイダ

これほど悲惨な人もないだろう。
ハイダ、34歳。
2008年4月1日、バグダッドのバーベショルジャ(市場)に妻と7歳の娘と4歳の息子を連れて買い物に行った。妻と子どもたちが学校の制服を買い求めている間、ハイダは車を売りに別の場所にいた。妻から電話が来た時には商談が成立していたので、彼は家族にバスで帰ってくるように伝えた。

妻と子どもたち2人はバスで家路に着いた。夕方4時、バスは爆弾で吹っ飛んだ。
バスの乗客も吹っ飛んだ。
ハイダの家族も…。

数日後、彼の元に届いた愛しい人たちの遺体はバッグに詰められていた。
バラバラになった頭部と手足で、妻と娘のハウラ、息子のカラールだと確認できた。
そう説明してハイダは私たちの前で声を出して泣いた。
まだ、事件のショックの只中にいる。

家族を全員失って8ヶ月後。
自宅近くのレストランでのこと。
ハイダがレストランから20メートル離れたところで、自爆テロに遭遇。
左手と右足に破片が食い込んだ。
ヨルダンには、つい最近、2009年10月にやって来た。
カリタス(キリスト教系NGO)のサポートで手術を受けた。
左手はまだ少し後遺症が残る。

UNHCRからの現金支援は、月75JD(日本円でおよそ9,600円)
そのうち、アパート代が電気、水道込みで50JD(6,400円)
その他の援助は受けられていない。
理由の1つとして、支援対象は「家族」であることが条件。
独身男性はその対象にはなっていない。
好きで独身になったわけではないが、それは関係ないということ。

彼の安アパートは、とんでもなく急な階段を上り詰めたところにあった。
青いペンキが塗られたドアを開け、すきまだらけの観音開きの木戸の小さな部屋が1つ。
やたらと天井だけ高い。入口に物置のような台所。
トイレはどこかわからなかった。
コンクリートに薄いカーペット、そこに万年床。
一昨日のようなどしゃ降りの日には、木戸の隙間から雨水が部屋に入ってきそう。

部屋の中に暖房器具は見当たらない。
台所から小さなコンロを持ってきて、「寒い時はこれで暖まる」。
これからもっと寒くなるのに、それは辛いなぁと思った。
この部屋で毎夜、彼は忘れられない家族を思っているという。
「早く忘れたい」とハイダは繰り返し言った。
楽になりたい、と聞こえた。

翌日、ハイダと待ち合せをしてストーブを買いに行った。
ガスボンベストーブ。
プロパンガスのボンベそのものがストーブになっているというもの。
日本では考えられないけど、こっちではごく普通。
ガス売りは町中でまわっているので注文もカンタン。
彼はこのストーブがずっと欲しかったらしい。

ガスストーブ一式で118JD(およそ15,000円)

おそろしく急で長い階段を、ストーブ一式3人がかりで運んだ。
早速、段ボールを開けてストーブとガスボンベをセット。
彼の顔が何度もほころぶ。

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国連や国際NGOに頼らなければ、仕事につくことは許されない彼ら貧しい難民は生活できない。
私のような個人ボランティアにできることは、彼らの話に耳を傾けること。
そして、少しでもできることがあればすぐに実行すること。
「誰も俺のことなんて気にかけてくれなかった」と最後に彼は言った。
ストーブで暖まった部屋で、今はゆっくりと眠ってほしい。
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by nao-takato | 2009-12-22 06:56 | 支援/プロジェクト

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