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カテゴリ:報告会/来日ツアー
  • 中学校に行ってきます。
    [ 2010-04-27 02:02 ]
  • 24〜26日、沖縄にまいります。
    [ 2010-04-24 01:53 ]
  • 私たちは彼らの質問に答えられるだろうか?
    [ 2010-04-19 17:16 ]
  • 笑わないで、聴いて。
    [ 2009-01-31 00:27 ]
  • 壊れた心を拾い集めて、生きる。
    [ 2008-11-27 11:23 ]
  • 未来は私たちの手の中に。
    [ 2008-11-24 20:45 ]
  • 「イラクの未来は不透明」
    [ 2008-11-22 00:57 ]
  • "BAN DU NEXT"
    [ 2008-11-20 00:16 ]
  • 命の重さを伝えるには
    [ 2008-11-19 23:35 ]
  • 戦争の伝え方。
    [ 2008-11-18 03:37 ]
中学校に行ってきます。
明日27日、明後日28日は大阪市内の中学校3校をまわります。
ワセックのクラスの子どもたちの様子の映像もあります。

日本の中学生たちは、イラク戦争に関する映像などを見たりして数回にわたり事前授業を行ってくれました。

さぁ、明日はどんな授業になるんでしょう?
by nao-takato | 2010-04-27 02:02 | 報告会/来日ツアー
24〜26日、沖縄にまいります。
ワセックのツアーも折り返し地点に来ました。
これまで、名古屋、広島、衆議院議員会館、東京、そして今日は大阪でたくさんの人に報告を聞いていただきました。明日からは沖縄です。

4/24(土)那覇到着後、取材。その後、辺野古へ
      19:00〜21:00 ファルージャ報告会@沖縄NGOセンター
      取材。

ファルージャ報告会の日程などby沖縄NGOセンター

4/25(日)読谷へ(県民大会)
      19:00〜那覇市内で交流会(国際通り近くの居酒屋)
      ※時間は渋滞の状況によって変更の可能性あり

4/26(月)資料館など見学
      午後、記者会見

ちなみに私は5月3日にもう一度沖縄にまいります。

沖縄NGOセンター
by nao-takato | 2010-04-24 01:53 | 報告会/来日ツアー
私たちは彼らの質問に答えられるだろうか?
原爆資料館inヒロシマです。
ワセックは、平和公園でお祈りして、NO DU ヒロシマ・プロジェクトのフジムラさんにアテンドしてもらって、今資料館見学をしています。

きっと、フラッシュバックとかしてると思う。
プレゼンの準備をしている時も、「ニオイがする…」とか言っていたし。
撮影した日からニオイが気になって、1ヶ月くらいは手と身体をゴシゴシ洗ってたそう。
でも、ニオイは消えなかったって。
実際にニオイがしているわけじゃないけど、記憶されてしまったってことだね。
細かいところを思い出すのが、本当に辛そうだった。

ワセックの映像は、私のDVDにも入ってるし、報告会の中でもよく上映してる。
でも、やっぱり、その時の空気や思いを伝えられるのは撮影した本人。

彼は、あの時、撮影を終えてから何日も泣いたと言っていた。
プレゼンでは「僕は泣いた」とは言わないかもしれないけど、打ち合わせの中でボソッと言った一言から、私は彼の悲痛な思いを強烈に感じてしまった。
昨年の夏、ヒロシマとナガサキに案内したイラク人も途中でフラッシュバックに苦しんでいた。
女性の方は資料館から出ていった。
ヒロシマやオキナワに行ったカーシムも、ニオイを思い出し恐怖を感じていた。

今回ワセックは、ファルージャ病院の小児科医からたくさんの先天性異常の赤ちゃんの写真をもらってきた。

私は、プレゼン用のパワポを作りながらこのたくさんの写真の中からいくつかを選ぼうと思った。
でも、私はそれができなかった。
たとえ、数分しか生きられなかったとしても、
たとえ、目や鼻がなくても、
たとえ、脳がなくても、
たとえ、頭が二つでも、
たとえ、足がくっついていても、
たとえ、指が多くても、
たとえ、心臓にたくさんの穴が空いていても、
命は命。
この子たちは、短かった命をめいっぱい使って、私たちに伝えようとしている。
それを、削除することはできなかった。
死者は必ず、生きている者にメッセージを遺す。
自然に訪れた穏やかな死から、私たちは多くのことを受け取る。
それ以上に、理不尽な死や殺された死は、より多くのことを訴えかけてくる。

それは、目をそらしたくなる。
ただ、私たちには向き合う責任がある。
平面なスクリーンからニオイは再生されない。
数秒後には生きられなかった赤ちゃんたちの姿は目の前から消えて行く。
目をそらさずにスクリーンを見たからと言って、
犠牲者の思いのすべてを理解することはできないだろう。
それでも、理解しようとすることは無駄ではないはずだ。
そのために、ワセックも儚い命の赤ちゃんたちも日本でその姿をさらしているのだから。

日本の”イラク人道復興支援”は何だったんだろう?
日本が”テロとの戦い”を支持したのは何のためだったんだろう?

カーシムの言葉を思い出す。
「戦争放棄というけど、戦争のサポートはいいのかい?」
この質問に私たちは答えられるか?
by nao-takato | 2010-04-19 17:16 | 報告会/来日ツアー
笑わないで、聴いて。
一昨日、高校2年生300人にイラクのお話をした。
話し出しても、笑い声や話し声が絶えないので、怒鳴った。
マスコミで流れたワタシのイメージが強いっていうのが原因かなと思うけど…。

戦争体験を話す時に、笑われるのって嫌な気分。
だって、それは誰かが殺された時の話なわけで。
それは、知人友人の苦しみなわけで。
それは、自分自身の苦しみなわけで。
ワタシの仕事は、殺された人々の代弁なわけで。

時々、そういう場面で表現の仕方がわからなくて笑っちゃうってこともあるみたい。
でも、笑われるとツライことがもっとツラクなる。
遺族だったら、なおさらでしょう。

結局、2回怒鳴った。
ちょっと舌巻きすぎた感が否めないけど、”怒り”を表現してみました。
ハラワタが煮えくりかえっていたわけではありません。
心配だったのと、イラクとワタシたちがつながっていることを伝えたかっただけ。

生徒のみなさん、後半はしっかり聴いてくれたね。
ありがとう。
もっと希望のある話もしたかったけど、
その前に絶望を知ってほしかったのです。
by nao-takato | 2009-01-31 00:27 | 報告会/来日ツアー
壊れた心を拾い集めて、生きる。
カーシムが帰国しました。
といっても、イラクの隣国シリアまでです。
そこからイラクまでは陸路。

今回は、本当に心が疲れたツアーだったと思います。
4年ぶりに触った軍服。
米軍基地だらけのオキナワ。
複雑な思いを抱えた二度目のヒロシマ。
いろんな気持ちや思い出が噴出し、辛かったことと思います。
でも、その分、日本の人々、特に学生たちに大きなきっかけを与えることができたのではないかと思っています。

そして、私たちはたくさんのことを学びました。
「一歩前進する」というのは苦痛を伴うこと。
「戦争を伝える」ことの難しさ。
現在進行形の日本の戦争と占領を知ることは、国際社会を知る近道だということ。

帰国前日、名古屋の高校生4人と2時間半にわたるディスカッションをしました。
札幌清田高校の生徒もかなり関心が高かったようですが、愛知県は、学校の枠を超えて生徒も先生も実に熱心。そんな高校生から「カーシムさんにとって”平和”ってどんな意味を持ちますか?」という質問を受けて、彼はこう答えました。

「僕は”平和”というものをほとんど体験したことがないからよくわからないのだけど……。本当の平和っていうのは、”戦争をしないこと”と”戦争に巻き込まれないこと”だと思う。でも、日本はすでに”戦争に巻き込まれている”…。東京でいろいろな状況を目の当たりにしたのだけど、これは、戦争の時代に突入する前のイラクの状況にそっくりだと思った」

私はこれに付け加えて、アメリカの高校生たちが”戦争に巻き込まれていく”様子をお話しました。高校生は「イラク戦争」の国イラクでだけ、特別な軍国教育がなされていると思っていたようなので、自由の国アメリカの高校生たちが、貧困や借金でカンタンに”戦争に巻き込まれていく”ことに驚いていました。

その後、セイブイラクチルドレン名古屋のみなさんと、中部地方でずっとカーシムのアテンド兼通訳をしてくれたRさんと食事をしました。
そこでこんな会話がありました。

ナゴヤ:「名古屋の女医さんがタダで左肩のクラスターの破片を摘出してくれるって言うけど、どうする?」
カーシム:「うーん、取りたくないです」
ナゴヤ:「なんでー!?」
カーシム:「これは、取ってはいけない気がするからです…死んだ友人のために」

同じ塹壕にいた戦友がクラスター爆弾で吹っ飛ばされた話をして込み上げた思い。
伊江島の『ヌチドゥタカラの家』資料館で、カーシムに蘇った戦場の音と臭い。
ヒロシマの『原爆資料館』で、劣化ウラン弾の受け入れ難い事実と国際社会に認められていないという事実に対して感じた猛烈な反発。

ヒロシマを終え、後半戦に入ったところで北海道に戻った18日の夜。
カーシムは私の自宅で号泣しました。
同じ塹壕で死んだ戦友や兄の話をしながら嗚咽し、声を上げて泣きました。
見ているのが辛くなりました。
封印していた思いが、まさに吹き出したようでした。
「戦争のトラウマ」です。

思い起こせば、5年前に出会った頃のカーシムは自暴自棄な感じがしていました。
「俺も死ねばよかったんだ」
「なぜ、俺は生きてるんだ」
激しい自責の念は、彼を追いつめていました。
それはあちらこちらに「殺意」を抱かせていました。
きっと、「殺意」は自分自身にも向けられていたはずです。
それが、報復しなければという思いを加速させていたはずです。

彼が落ち着いてから、私はフィリピンで戦死した軍服姿の叔父の写真を見せました。
満州からフィリピンのレイテ島決戦、そしてカンギポット山で息絶えた叔父さん。
当時12歳だった父が、戦後どうやって家族を支え、試練を乗り越えてきたか。
そんな話をしました。

私たちが生きている理由は何なのか。
私たちが今生きているのは、戦争で亡くなった人たちのため。
その役目はまだ終わっていない。
始まったばかりだ。
聞くべきは、彼らが死んだ時の声だけではなく、彼らが今、何を伝えたいかだと。
そして、それを伝える時、涙が流れてもいいのだと。
愛する人を亡くしたのだから、涙が出るのは自然なことなのだと。

ニュースにもならず、きちんと埋葬されることもなく、跡形もなく燃えてしまったり、肉片となって死んだ人々。
彼らが生きた証を、私たちが証言するのだと。
それが、私たちが殺されなかった意味だと。

腹を割った対話の後、カーシムが苦痛の伴う一歩を踏み出す瞬間を、私は見ました。

この翌日、大学生たちにカーシムはもう一度自らの体験と今の思いを伝えていました。イラクはまだ「戦後」になりそうもなく、先は不透明ですが、それでも日本でたくさんのヒントを得たと思います。

オキナワ、ヒロシマ、トウキョウ、イラク、アメリカ…どこででも、
おじぃもおばぁも、カーシムも、戦争を語る人たちには、覚悟がある。
語りたくないけど語らなければという、覚悟がある。
だから、戦争を聴く人たちは、覚悟を持って聴かなければと思う。
聴きたくないような話を、聴かなければという覚悟がいると思う。
耳だけではなく心で聴こうとする覚悟を持って聴くべきなのだと思う。

「イラクの友だち招聘企画 全国スピーキング&スタディツアー」のこれだけのスケジュールをこなせたのも、各地のみなさまのご尽力のおかげです。改めまして、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
by nao-takato | 2008-11-27 11:23 | 報告会/来日ツアー
未来は私たちの手の中に。
「私は1976年11月27日生まれ、射手座で干支は辰年です」
カーシムは、時々こんな自己紹介をして場を和ませていた。

昨年の来日時に京都の禅寺に行った時、狩野探幽の天井画「八方にらみの竜」というのを見て、いたく感動したようだった。

妙心寺の副住職に庭園を案内してもらい、日本庭園に見られる禅のこころを説明された後、座禅を組んだ。

その後、「干支」に興味を持ち、「カーシムは辰年=竜だね」と言うと、えらいうれしそうであった。しまいには、「僕はきっと、前世は日本とか中国にいたんじゃないか?」と言い出した。

11月27日の誕生日当日は、空の上。飛行機の中で1人。
なので、各地でプレ誕生日を祝ってもらってうれしそうです。
毎回、サプライズで喜び倍増みたいです。

カーシムへ
今回もスピーキングツアー、しんどかったね。。。
身体じゃなくて、心がしんどかったよね。。。
米軍基地だらけのオキナワ、前回と違う印象のヒロシマ。
久しぶりに触った軍服で蘇った思い。。。
封印していた過去がたくさん飛び出してきて、つらそうだったね。
一気に事態は好転しないかもしれないけど、できることを続けよう。

イラクで死んでいった人々が、今、何を訴えているのか。
過去の悲しみを受け入れて、彼らが導く未来を実践していこう。

こんなこと、書いてみました↓
カムイミンタラ ウェブマガジン第24号『私たちは無力ではない、私たちには微力がある』
by nao-takato | 2008-11-24 20:45 | 報告会/来日ツアー
「イラクの未来は不透明」
今日は、カーシムは札幌で高校生にイラク報告。私は京都で報告してました。
高校生の反応はどうだったのでしょうか?

昨日は雪でした。札幌はよく積もっておりました。
カーシムは、昨年の来日で、雪の降る露天風呂というのを体験したことがありました。
今回の初体験は、「雪の上を歩く」でした。
「こんなに積もった雪は初めて見た」と楽しんでおりました。

北星学園大学では、たくさんの感想文をもらいました。
多くの学生さんが、カーシムの子ども時代や大学時代を聞いて身近に感じてくれたようです。そして、印象に残ったカーシムの言葉をたくさん書いてくれました。

「数秒で建物は破壊できるけど、その建物を再建するのには何年もかかる」

「弾丸は人の命を一瞬で奪うけれど、人の命を取り戻すことはできない」

オバマ大統領になって、米軍が撤退したらその後イラクはさらに泥沼化するのでは?という質問がわりと毎回出ている。カーシムはこんな風に答えている。

「ブッシュ政権は間違いだらけだった。イラク戦争の計画段階で起用した”イラク人”も間違いだった。この”イラク人”たちはみな、30年近くもイラクに存在していなかった。だから、イラクで経済制裁に耐え苦しんだイラク人たちは、彼らを信用できない。アメリカの戦車とともにやってきた”イラク人”たちは、イラク国内に支持者もネットワークもなかった。だから、政党を作って支持者を増やすために”宗派”を使った」

「ブッシュ大統領以外なら誰でもいい。せめて、オバマ大統領にはブッシュ政権の間違いを認めてほしいと思う。そして、謝罪の言葉が聞きたい」

ここからは、私が思うこと。
米軍が撤退しなければ、イラクはさらに悪くなるだろう。
イラクは、もう一度”イランイラク戦争”を始めることになるかもしれない。
いや、もう始まっているのかも?

米軍の存在は、新たな火種を作りだすだけだと思う。
「親米×反米」「スンニ×シーア」「過激派×穏健派」「イラン×周辺国」
そうなれば、それこそイラクはその土俵となって泥沼になってしまう。
って、もうなってるか。。。

アンバール州は、米軍が撤退し、戦闘がなくなって1年半以上たつ。
しかし、最激戦地はアンバール州から北部や中部に移動しただけだ。
それはつまり、米軍がイラク国内を移動しただけのことだ。
米軍が行くところ、いろんな武装勢力も集まる。
治安が悪化する。明白。

一昨日、落ち着いているはずのアンバール州ラマディで米軍を狙った自動車爆弾が炸裂した。ラマディは最近、米兵の数がまた増えてきているのだ。そして、爆弾をしかけたのは、米軍の刑務所から釈放されたばかりの人たちだったといわれている。拷問や虐待の恨みからか。

現在も、私たちの友人は米軍刑務所に入れられたままだ。
もう8ヶ月以上になる。
生きていてほしい。
返してほしい。

イラクが良くなるためには、イラクをイラク人に返すことだ。
米軍が撤退しただけでは事態は好転することはないと思う。
イラクは、アメリカとイランのダブル占領下みたいなものだから。

「イラクの未来を不透明」にしているのは、「テロとの戦い」が根本から見直されてないからじゃないだろうか。米軍が撤退しても「テロとの戦い」が続く限り、不透明なんじゃないだろうか。

さて、明日22日は東京九段下で「週刊金曜日15周年記念イベント」。
私は14:00〜筑紫哲也さんの追悼プログラムに出演します。
その後、第2部ではカーシムとスピーチします。
夜、カーシムは文京区民センターで劣化ウラン関係のイベントでスピーチします。

あさって23日は、カーシム最後の報告会。
14:00〜@東京高田馬場ピースボートセンターとうきょう。
私は、13:00〜北海道北広島西の里会館でイラク報告会です。
by nao-takato | 2008-11-22 00:57 | 報告会/来日ツアー
"BAN DU NEXT"
11月16日ヒロシマでのキャンドルメッセージの写真です。"BAN DU NEXT"(次は劣化ウラン弾の禁止を!)
by nao-takato | 2008-11-20 00:16 | 報告会/来日ツアー
命の重さを伝えるには
今日は、大学での特別講義をやらせていただきました。
北海学園大学です。大きな教室で、一般の方もいらっしゃいました。

カーシムの報告は、いつもよりも大学生を意識した内容だったように思います。
4歳でイランイラク戦争、15歳で湾岸戦争、そして27歳で兵士としてイラク戦争。
「今まで生きてきた中で主に3つの戦争を経験し、平和な日々だったのは4年間だけだけど、4歳までのことなのであまり覚えていません」

それから、いつものようにラマディの町がどんな風に破壊されたのかを報告し、避難民たちがどんな生活を強いられているか、子どもたちはどんな風に過ごしているか、今のイラクに必要な支援とは何なのかを話しました。

メモ帳に描いた戦闘機の絵を見せながら、(おそらく私が隣でイラク報告している間に描いた)こんなことを語りました。

「僕は子どもの頃、戦闘機の絵をよく描いていた。カッコイイと思ってたし、憧れてもいた。でも、本当の戦争で本当の戦闘機を知ったら、それが破壊と殺しのマシンでしかないことを学んだ」

そして、最後にこう言いました。
「みなさん、(戦争)アクション映画を信じないでください。映画には必ずヒーローがいるけど、戦場にヒーローなんていません」

「避難民の人たちは、次の瞬間まで息をし続けていられるかで精一杯。子どもたちは何のサポートを受けられない中、暗がりの中で読み書きを学んでいる。同じ紙を1週間も使って。僕は、こんな状況でも強く生きようとする子どもたちを尊敬する。本当のヒーローはこの子どもたちだと思う」

「僕はファッションに疎いし、ファッションセンスもない。でも、生きるための最優先事項は、ファッションじゃないと思う。大切なことは、考える力と心だと思う」

最後の方で少し沈黙があり、ふと彼の方に目をやると、彼の目は涙でいっぱいでした。
いろんな思いが彼の中に溢れたのでしょう。

”生き残った者”の責任。その重さは、”生き残った者”にしかわからないかもしれない。”命の重さ”を伝えるには、”命の重さ”を知らねばならない。

さて、明日は北星学園大学での講義と北海道新聞の取材、そして夜には北海道クリスチャンセンターでイラク報告会です。
by nao-takato | 2008-11-19 23:35 | 報告会/来日ツアー
戦争の伝え方。
明日、というか今日11月18日(火)、カーシム特集が放送予定です。中国地方だけみたいですが、お近くの方はぜひご覧ください。

広島RCC中国放送の夕方のイブニングニュース18:16〜19:00のどこかで。

沖縄の「ヌチドゥタカラの家」もそうでしたが、2回目のヒロシマでは「後世に伝える」ということを念頭に原爆資料館を見学をしました。カーシムは、次の世代に伝えたいと思ったから軍服をとっておいたわけですが、今のイラクでは日常生活を取り戻すことに精一杯で、そこに共感を得るのは難しいと感じているようでした。確かに、個人的な「メモリアル」として軍服や戦車の部品など戦争の負の遺産を保管している人はいますが、「もう戦争はしない、させない」という誓いを立てようというところまでは、まだいかないだろうと言っていました。ヒロシマのように、直後に終戦を迎えるという状況ではなく、「テロとの戦い」はいつ終わるのか、自分の町がまたいつ爆撃されるかわからないという不安がついてまわることもあるでしょう。

昨日の奈良、今日のヒロシマも修学旅行生がたくさんいました。イラクでも小中高の間に戦跡をまわったりするそうですが、そこでは「勝利」や「戦争の大義」について教えられるのだそうです。「原爆の正当性」を教えられるアメリカの子どもたちと同じですね。日本では、みんながフツーに「不戦の誓い」のようなものが細胞になっていますが、これって特長的な細胞!?なのかもしれません。だとしたら…。

さて、ヒロシマから東京に飛んで、映画『リダクテッド』トークイベント。先日の東大駒場キャンパスの報告会に来てくれた大学生も来てくれていました。

この映画、ハッキリ言って二度と見たくない映画です。アメリカで上映中止を求められたのもわかります。だからこそ、見なければならない絶対必見の映画だと思います。まだご覧になっていない方は、ぜひお願いします。

朝日新聞の吉岡一氏がカーシムに「この映画はフィクションですが、実際はどうですか?」と質問すると、彼はこう答えました。
「これは非常にリアルではあるが、日常的に起きる犯罪の1つでしかない」

たとえ、ほんの少ししか戦争のリアルや現実を再現、あるいは表現できていないとしても、視覚的に見ると見ないでは、戦争の受け止め方は大きく違ってくるように思う。これは、4年間続けているイラク報告会を通して感じることでもある。もし、原爆資料館の中で、皮膚がぶら下がった原爆犠牲者のフィギュアの展示がなければ、見学者の中に残るイメージがだいぶ変わってくるように思う。

私が戦争を想像する時、自分が持っているすべての記憶を総動員するわけで、その時のソースは視覚的なものが圧倒的に多い。私にとって「戦争と向き合う」とは、自分の身体の痛みになるまで想像をくり返すことだった。無知を克服するということは、なんと苦痛を伴うことだろうか。。。

カーシムや戦争体験者はその逆なんだと思う。熱や臭いや突き抜ける痛みを忘れられないのだから、映画や展示を見ても気分が悪くなり、思い出したくないと感じつつ、伝えたいのに伝え切れないことに苦しくなる。

カーシムは、オキナワやヒロシマでその都度フラッシュバックに苦しんでいる。戦争体験を語ることはツライのだ。軍服にまつわるエピソードを語ることは、彼の深い悲しみを呼び起こすことなのだ。

明日は、北海道へ移動します。
by nao-takato | 2008-11-18 03:37 | 報告会/来日ツアー