地球上の"113人に1人" 〜ヨルダンのイラク難民の場合〜
2016年 11月 06日
「2015年、紛争や迫害によって家を追われる人が急増し、過去最多の6530万人」
「地球上の113人に1人が難民、国内避難民、もしくは庇護申請者」
「難民の51%が子ども」
たとえば、私が今いるヨルダンにもイラク難民や庇護申請者がいます。
先週に引き続き、NGO(Benevolent Hands)の在ヨルダンイラク難民の学費支援のお手伝いに行ってきました。
今回はオーストラリアとアメリカからのカンパ協力で行われました。
登録所にはすでに書類を握りしめた親や子どもたちがたくさん並んでいました。
業務が始まって、私は何人かの人たちと話をしました。
「長男は爆弾事件に巻き込まれて亡くなりました」
そう言ってスマホの画面を見せてくれたバグダッドから来たという女性。
写真に写る元気な頃の息子さんは大学生くらいでしょうか。
私を見る母親の顔はとても悲しそうで、まだその悲劇の瞬間の中にいるようでした。
「私はハウィジャ(キルクーク州)から2014年に逃れてきました」という親子がいました。
一緒にいた息子は13歳。
ハウィジャといえば、2013年に軍がデモ隊に発砲して死傷者が多数出たところ。
2014年のIS危機以降、キルクーク州の州北部はクルド自治区管轄になっていますが、
それより南方のハウィジャなどは空爆と戦闘が2年以上続いているという状態です。
キルクーク州やその周辺からの避難民は、
そのクルド管轄側に入れたり、入れなかったり、帰還せよと言われたり...。
この町の悲惨さも簡単には説明できません。
戦火のハウィジャからヨルダンにたどり着いて難民となるまでの、
この親子が辿った困難な道のりに思いを馳せました。
厳しい表情をした女性が私の隣にやってきて、
「私は医師です。一つお尋ねしたいのですが...」と英語で話しかけてきました。
「夫は誘拐されて... ここでなんとか子どもたちを養っていかなければならないのですが、医師の仕事を紹介してもらえませんか?ボランティアでもいいです...」
必死でした。
おそらく彼女にとってこんなことを口にするのはかなり勇気がいっただろうと思います。
”夫が誘拐されて何年も帰ってこない”というのはよくあります。
残念ながら生存の可能性は極めて低いと言わざるを得ません...。
ヨルダンでは、基本的に難民には就労許可されていませんが、医師なら可能性はあります。
整形外科なら紹介できるかなと思いましたが、
専門を聞くと腫瘍だったので、がんセンターなどに聞いてみたらどうかと答えました。
一生懸命に訴えていました。
「次男がしゃべれないんです」
「いつからですか?先天的なもの?」
「いいえ、もしかすると父親の殺害がきっかけかもしれません...」
「なるほど... CVT Jordan に行って相談してみたらいいかも」
と伝えて、センターの住所を渡しました。
※CVT (The Center for Victims of Torture)はアメリカ拠点のNGOで、PTSDのケア、カウンセリングを行っています。
そして、モスルから避難している女性。
夫と親戚が過激派IS支配下のモスル市内に閉じ込められたままだと言います。
公開懲罰、公開処刑は日常茶飯事。
ありえない恐怖支配。
10月17日モスル解放作戦開始から3週間あまり。
軍はまだそこまでたどり着いていません。
過激派は市民を「人間の盾」にしたり、イラク軍に激しく抵抗しているとニュースでやっています。
「空爆も心配なの。2年以上ずっとでしょ。巻き添えで亡くなった友人や知人もいるし...」冒頭で紹介した通り「難民の半数が子ども」という数字があります。
難民になった後も、貧困状態は加速し、苦難は続きます。
けれど、たとえば昨日の現場。
子どもに教育を継続させることができてホッとした表情の父親や母親。
落第したり、学校を退学せずに済んだことを素直に喜ぶ子どもたち。いろんな国の人たちから差し伸べられる支援は、
確かにこの難民の親子たちを励ましています。
大げさなようですけど...
イラクの未来が明るくなれば、世界も明るくなるような気さえしてきました。
地球上の"113人に1人"それぞれにストーリーがあります。
☆Benevolent Handsはオーストラリア拠点のNGOです。ヨルダンのイラク難民支援(医療、教育支援その他)に特化しています。もしオーストラリア在住の方がいらっしゃいましたら、ぜひコンタクトしてみてください。
※fecebookはアラビア語ですが、英語もOKです。
by nao-takato
| 2016-11-06 20:11
| 支援/プロジェクト