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1月11日 日本人からの贈り物、完成。

本当なら、夕べのうちにファルージャ再建プロジェクトのメンバーがもう一人くるはずだった。メールの連絡も、知らせておいた電話番号にも何の知らせもなかった。今もまだない。

一足先にアンマンに到着したカスムの所に彼からのメールが届いていた。先週、彼のいとこが米軍に殺されたそうだ。他にも負傷した人たちが周りにいたらしい。彼自身も数週間前に米軍に連行されそうになった。数ヶ月前から郊外に避難していた彼は、ファルージャ再建プロジェクトのメンバーたちと一緒に他の避難民たちに毛布やストーブを配ってまわっていた。カスムは「彼ほど勇敢なやつはいない」と言っていた。しかし、米軍は疎開先の農場にまで家宅捜索に入った。結局、彼は米軍に連行されなかったけれど、コンピューターは壊された。学校再建の収支、緊急支援の内容、そして写真などが全部破壊されてしまったのだ。米軍は写真や情報が出回るのを恐れているのだろう。以前にも、メンバー2名が狙撃されて殺されているだけに、私も不安がよぎる。ダメだ、悪いことを考えるのはよそう。

国境では今、ヨルダンへの入国を許されなかったイラク人が数百人単位で毎日続出しているらしい。ヨルダンに避難してくる家族が増大したために、ヨルダン側がランダムに入国拒否を出しているようなのだ。入国を拒否された後、じゃあどうするか?彼らは家に戻らなければならない。いつ何が起きるかわからない道を再び戻る?しかも暗くなりかけた頃に?それじゃ、国境で凍える夜を過ごす?どっちにしても、ショックはでかい。逃げ惑う家族がやっとたどり着いた出口を塞がれるなんて、途方に暮れるばかりだ。

以前から連絡が来ていたラマディ郊外の学校ができた。今はもう子供たちが学校に通い始めている。ファルージャの学校は完全に閉鎖されている状態なので、ラマディの学校などがファルージャの子供たちを受け入れている。写真を見ると、少し窮屈そうだ。およそ20%くらいがファルージャの子供たちだそうだ。

以下はカスムが語ったことです。
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『私たちの命は軽すぎる』

ジョラン地区(ファルージャ市内)のせまい通りを通れない戦車は、構わず両脇の家々をなぎ倒して進んで行きました。攻撃に一段落した米軍は、市内中にあふれる遺体を金属のフックでまとめて、装甲車でひきずって行きました。遺体は空き地に集められました。まるでゴミのような扱いでした。住民は米軍に見つからないように、チャンスを見つけては遺体を空き地から運び出そうとしました。身元の確認ができればそのリストを作りますが、いずれにせよ、どの遺体も墓地まで運ばれるべきなのです。しかし、どの遺体も姿からは身元を確認できる様子ではなく、ポケットにある身分証明書などが頼りでした。ほとんどの遺体が体内に溜まったガスで膨れ上がり、犬に食い荒らされていました。

 11月のファルージャ総攻撃中のことでした。プロジェクトのメンバーの疎開先の近くで老人が米軍に狙撃されました。若者たちでその老人の遺体を墓地まで運ぼうとしました。墓地までには米軍のチェックポイントがある。チェックポイントに近づけば間違いなく撃たれるだろう。彼らは河を渡って遺体を運ぶことにしました。しかし、川を渡っている最中にも米軍は容赦なく射撃を加えました。かろうじて彼らは生き残りました。

 モスクでケガをしていた人たちに対して、米軍が射撃を加えたことは世界中に衝撃を与えたと聞きました。しかし、それは至るところで起きていたことでした。モスクでも、住宅でも、ベッドで就寝中の人でも有無を言わさず殺されました。総攻撃の直前にファルージャから避難しようとした家族も、父親や息子が戦闘年齢(14歳〜50歳)であれば、武装していようといまいと関係なくファルージャから避難することを許されませんでした。仕方なく、家に戻った人たちは攻撃の最中にただただ怯え、家に押し入ってきた米軍に、男も女も子供も皆殺しにされたのです。私はたくさんの女性や子供の遺体を見ました。

 総攻撃の少し前あたりから、今まで見たこともないような大きな犬をよく見かけるようになりました。私は犬を怖いと思ったことは今まで一度もなかったのですが、ある時、モンスターのようにでかい犬が口からだらだらとヨダレを垂らしながら、私の乗っていた車のフロントガラスに突っ込んできました。私は恐ろしくなり慌てて猛スピードで逃げました。この頃から病院などで狂犬病にかかった人たちが次々と運ばれてくるようになっていました。町中を大きな犬が走り回り、人間に喰らいついていたのです。
 
 今、米軍はファルージャの再建に向けて動き出し、彼らに協力してくれるイラク人の会社を探しているようです。どれほどの人たちが米軍との協力を申し出るかはわかりませんが、私たちはただ穏やかに暮らせる日が来ることを願うだけです。人間として扱われることを望むだけです。物価が上昇して、なくしたモノを買うのにも一苦労しますが、私たちの命だけはあまりにも安く、軽くなり、そして2度と手には入らないのです。

 そんな状況下でファルージャの人たちはすべてを失いましたが、新たなものを見つけることもできたのです。今、ファルージャの人たちはラマディの人たちと「生」を分かち合っているのです。3ヶ月以上もの間、家、食料、学校、そして何より悲しみを分ち合い、そのことがお互いの絆を深めているのです。学校再建の現場でも、子供たちが机を分け合い、父母が協力して備品を提供しています。
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修復前のバシール小学校(ラマディ郊外)
1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1132998.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1135111.jpg

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1152849.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1154447.jpg壁には無数の弾痕があった。

何度も中断を余儀なくされたが完成した。バシール小学校の修復にかかった経費はおよそ350万円(人件費含む)。今回の工事で雇用した人数は65人。日給は8000イラクディナール(約6ドル)。特殊技能者には日給約10ドル支払った。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1375487.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1402421.jpg左は学校の正門。右は講堂。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_140538.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1411069.jpgキレイになった廊下。外壁は前回と同じように薄いグリーン。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1413859.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1415796.jpg校内が明るくなった。子供たちも学校に通いだした。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1422682.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1424438.jpg黒板もキレイになった。小学生が英語を勉強してる。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1431515.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1433783.jpg1クラスに約5~10人のファルージャの子供。全校生徒の約20%。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_144117.jpg1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1441875.jpgキレイになった職員室。応接セットは父母会からのプレゼント。

1月11日 日本人からの贈り物、完成。_b0006916_1584781.jpgこの浄水器も父母会から。この他、各教室のカーテンも父母会が用意しているらしい。「今度はファルージャの学校を直したい。そしてファルージャの子供たちが元の学校に戻れるようにしたい」とメンバーは言っている。1日も早くファルージャに戻れますように。
by nao-takato | 2005-01-12 02:10 | 支援/プロジェクト

リアルタイムでイラクの今をお知らせする為の公開日記


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