1月6日 ファルージャの悲劇~ママはどこに行ったの?~
2005年 01月 06日
ファルージャへの緊急支援は2ルートから行っています。1ルートは前回までに報告している通り、イラクホープネットワークで協力し、JVC(日本国際ボランティアセンター)を窓口にして寄付金を一本化させています。これは郵便口座『イラク支援ボランティア高遠菜穂子』にお寄せいただいたお金の一部50万円をあてました。これはバグダッドの友人たちが届けてくれています。
もう一つのルートはファルージャ再建プロジェクトのメンバーによる支援です。メンバー自身が避難民でもあります。学校再建の工事費用としてバグダッドの銀行においてあった皆様の寄付金の一部が使われています。こちらの金額等は来週中に彼らがアンマンに来る予定なのでその時にご報告できると思います。以下、プロジェクトメンバーのカスムからのメールです。
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返信が遅れてごめんなさい。僕は今ラマディにいます。状況は悪く、戦闘はいつどこで始まるかわからない状態。インターネットカフェに行くのも非常に危険です。でも、僕も、僕の家族も大丈夫。ほとんどの友人も大丈夫。(※全員ではなくほとんど、というのが気にかかる)
前にも伝えたとおり、僕たちはファルージャ避難民の支援をやっています。毛布が十分ではなかったので、毛布とストーブ、それと燃料を届けました。
僕はたくさんの悲劇を見てしまったよ。人々はすべてを失ってしまったんだ。毛布やストーブを配っている時、一人の小さな女の子が僕のことを震えながらじっと見ているのに気がついた。仕事を終えてからテントの前に座り込んでいた彼女に近寄り話しかけてみた。女の子の年齢は7歳だった。
カスム:こんにちは。名前はなんて言うんだい?
女の子:こんにちは。私はファトマ。
カスム:寒いだろ?テントの中に入った方がいいよ。
ファトマ:テントの中は濡れていて寒いの。私、ママを待ってるの。ママがいなくて寂しいの。
カスム:ママはどこに行ったの?
ファトマ:わかんない。最後にママを見たのは先月のことで、その時ママは毛布に包まれていて、ママの顔には血がついてたわ。大人たちがママをどこかに連れて行っちゃったの。でも、パパは私に”すぐに会えるよ”って言ってたわ。ママに会いたい。ママがいないと困るの。
カスム:……。OK!僕が君の欲しいもの何でも持ってきてあげるよ。おなかはすいてる?
ファトマ:食べられない。具合が悪いの。寒くて……。
カスム:そんなところに座っているからだよ。
ファトマ:わかってる。でも、どこにいてもいつでも寒くて眠ることもできない。寒すぎて……。
僕はショックだった。彼女はガリガリに痩せていて、とても悲しそうで、そして死にそうだった。
カスム:OK!ファトマ!今、毛布とストーブと食べ物、君の欲しいもの何でも持って来るよ。
彼女は少し笑顔になり、こう言った。
ファトマ:ママは戻ってくる?ママがいないと困るの。
カスム:パパはどこ?パパを呼んできてくれない?
ファトマの父はオマルという名前だった。僕はオマルにファトマの母親に何が起きたのかを聞いた。
オマル:この子の母親は先月、米軍の空爆で殺された。でも、私たち家族はファトマにママはどこかで生きてる、すぐに会えるよと言っているんだ。だから、ファトマは1日中テントの外に座って母親を待っているんだ。寂しくてつらいんだろう。時々、女の人に抱っこして……とせがんでる。食べ物もろくに食べないんだよ。
オマルは低い声で語ってくれた。ファトマは僕と父親を穏やかな瞳で見つめ微笑んでいた。それから僕はファトマに「たくさんごはんを食べて、暖かくしてなきゃだめだよ」と言い、必ず戻って来てかわいいオモチャと洋服をプレゼントすると約束した。
けれど、僕はファトマとのこの約束を果たせていない。米軍が再び道路を封鎖してしまったんだ。彼らが今どこにいるのかわからなくなってしまったんだ。
ファルージャの住民たちは自宅に戻ろうとしたけれど、彼らがそこで見たものは破壊され尽くした家々と、その中で横たわる見知らぬ人々の死体だったんだ。住民は引き返すしかなかったんだ。僕が思うに、住民が自宅に戻るには少なくとも3ヶ月、いやそれ以上はかかるだろう。ファルージャにはもはやいかなる”生”もない。あるのはただ、壊された家と死体だけ。
ラマディにおいても同じ。毎朝、通りに死体がいくつも転がっている。昨日の朝だって、8人の若いイラク人青年の死体があった。彼らは米軍の手伝いをしてたらしく、誰かに殺されたということだ。
僕にはもう何が何だかわからない。何が善で何が悪なのか?だけど、これだけは言える。みんな銃を持ってるから悪いんだ。
君たちが、ファルージャやラマディの民間人犠牲者に対して敬意を持って気にかけてくれるということは、彼らにとって大きな励ましになるんだ。沈黙の世界にいるよりもずっと、友達がほしいと思っている彼らの「平和な心」を励ますことにね。僕はそう思ってるよ。ありがとう。
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夕べ、カスムからメールが来ました。「今すぐテレビを見てくれ」というメールでした。彼の自宅の前で民間人の乗った車が米軍に空爆され、乗っていた家族全員が死亡したとのことでした。車に乗っていたのはアンバール大学の教授とその家族。死者は合わせて6名、負傷者は8名。カスムはアンバール大学の卒業生です。ラマディには報道機関がほとんど入っておらず、アルジャジーラやアルアラビアももちろん入ってません。放映できたのはイラクのテレビ局のみ。ヨルダンではヒッラの自動車爆弾のことのみで、ラマディの件については一切放映されておりませんでした。報告会でいつもお伝えしている通り、カウントされない命は限りなくあるのです。カスムは、そういうわけでしばらくアンマンには行けそうにないということです。
もう一つのルートはファルージャ再建プロジェクトのメンバーによる支援です。メンバー自身が避難民でもあります。学校再建の工事費用としてバグダッドの銀行においてあった皆様の寄付金の一部が使われています。こちらの金額等は来週中に彼らがアンマンに来る予定なのでその時にご報告できると思います。以下、プロジェクトメンバーのカスムからのメールです。
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返信が遅れてごめんなさい。僕は今ラマディにいます。状況は悪く、戦闘はいつどこで始まるかわからない状態。インターネットカフェに行くのも非常に危険です。でも、僕も、僕の家族も大丈夫。ほとんどの友人も大丈夫。(※全員ではなくほとんど、というのが気にかかる)
前にも伝えたとおり、僕たちはファルージャ避難民の支援をやっています。毛布が十分ではなかったので、毛布とストーブ、それと燃料を届けました。
僕はたくさんの悲劇を見てしまったよ。人々はすべてを失ってしまったんだ。毛布やストーブを配っている時、一人の小さな女の子が僕のことを震えながらじっと見ているのに気がついた。仕事を終えてからテントの前に座り込んでいた彼女に近寄り話しかけてみた。女の子の年齢は7歳だった。
カスム:こんにちは。名前はなんて言うんだい?
女の子:こんにちは。私はファトマ。
カスム:寒いだろ?テントの中に入った方がいいよ。
ファトマ:テントの中は濡れていて寒いの。私、ママを待ってるの。ママがいなくて寂しいの。
カスム:ママはどこに行ったの?
ファトマ:わかんない。最後にママを見たのは先月のことで、その時ママは毛布に包まれていて、ママの顔には血がついてたわ。大人たちがママをどこかに連れて行っちゃったの。でも、パパは私に”すぐに会えるよ”って言ってたわ。ママに会いたい。ママがいないと困るの。
カスム:……。OK!僕が君の欲しいもの何でも持ってきてあげるよ。おなかはすいてる?
ファトマ:食べられない。具合が悪いの。寒くて……。
カスム:そんなところに座っているからだよ。
ファトマ:わかってる。でも、どこにいてもいつでも寒くて眠ることもできない。寒すぎて……。
僕はショックだった。彼女はガリガリに痩せていて、とても悲しそうで、そして死にそうだった。
カスム:OK!ファトマ!今、毛布とストーブと食べ物、君の欲しいもの何でも持って来るよ。
彼女は少し笑顔になり、こう言った。
ファトマ:ママは戻ってくる?ママがいないと困るの。
カスム:パパはどこ?パパを呼んできてくれない?
ファトマの父はオマルという名前だった。僕はオマルにファトマの母親に何が起きたのかを聞いた。
オマル:この子の母親は先月、米軍の空爆で殺された。でも、私たち家族はファトマにママはどこかで生きてる、すぐに会えるよと言っているんだ。だから、ファトマは1日中テントの外に座って母親を待っているんだ。寂しくてつらいんだろう。時々、女の人に抱っこして……とせがんでる。食べ物もろくに食べないんだよ。
オマルは低い声で語ってくれた。ファトマは僕と父親を穏やかな瞳で見つめ微笑んでいた。それから僕はファトマに「たくさんごはんを食べて、暖かくしてなきゃだめだよ」と言い、必ず戻って来てかわいいオモチャと洋服をプレゼントすると約束した。
けれど、僕はファトマとのこの約束を果たせていない。米軍が再び道路を封鎖してしまったんだ。彼らが今どこにいるのかわからなくなってしまったんだ。
ファルージャの住民たちは自宅に戻ろうとしたけれど、彼らがそこで見たものは破壊され尽くした家々と、その中で横たわる見知らぬ人々の死体だったんだ。住民は引き返すしかなかったんだ。僕が思うに、住民が自宅に戻るには少なくとも3ヶ月、いやそれ以上はかかるだろう。ファルージャにはもはやいかなる”生”もない。あるのはただ、壊された家と死体だけ。
ラマディにおいても同じ。毎朝、通りに死体がいくつも転がっている。昨日の朝だって、8人の若いイラク人青年の死体があった。彼らは米軍の手伝いをしてたらしく、誰かに殺されたということだ。
僕にはもう何が何だかわからない。何が善で何が悪なのか?だけど、これだけは言える。みんな銃を持ってるから悪いんだ。
君たちが、ファルージャやラマディの民間人犠牲者に対して敬意を持って気にかけてくれるということは、彼らにとって大きな励ましになるんだ。沈黙の世界にいるよりもずっと、友達がほしいと思っている彼らの「平和な心」を励ますことにね。僕はそう思ってるよ。ありがとう。
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夕べ、カスムからメールが来ました。「今すぐテレビを見てくれ」というメールでした。彼の自宅の前で民間人の乗った車が米軍に空爆され、乗っていた家族全員が死亡したとのことでした。車に乗っていたのはアンバール大学の教授とその家族。死者は合わせて6名、負傷者は8名。カスムはアンバール大学の卒業生です。ラマディには報道機関がほとんど入っておらず、アルジャジーラやアルアラビアももちろん入ってません。放映できたのはイラクのテレビ局のみ。ヨルダンではヒッラの自動車爆弾のことのみで、ラマディの件については一切放映されておりませんでした。報告会でいつもお伝えしている通り、カウントされない命は限りなくあるのです。カスムは、そういうわけでしばらくアンマンには行けそうにないということです。
by nao-takato
| 2005-01-06 21:33
| 支援/プロジェクト