ラマディ国内避難民サポート(ラマディ市内)
2009年 12月 07日
今年2009年1月、ラマディの避難民へ食料と子ども服の支援を実施しました。
ラマディ市内南部の20番通りに位置する孤児となった子どもたちと未亡人を対象に行いました。
バグダッドから逃れてきた家族もいました。その他は、夫を亡くしたり、家族の担い手を失ってしまった人々でした。
ほとんどの女性がこの2年間の内に何らかの形で夫を殺されたか亡くしていました。こうした人々は政府の許可なくバラック小屋を建てており、いつ政府から立ち退きを迫られるかわかりません。
イラク戦争直後からここに住み着いている人たちもいますが、特に多いのは2004年のファルージャ総攻撃後の避難民です。しかし、息子や男性家族を米軍に狙われていると考えている家族はどこから来たのかを言いたがりません。
(支援対象)
2009年1月
ラマディ市内20番通り付近の避難民30家族
(支援内訳)
食料 @30ドル × 30セット = 900ドル
(卵、豆、トマト缶、肉の缶詰、米、砂糖、紅茶、食用油)
子ども冬服 @10ドル × 20着 = 200ドル
人件費(3名)+輸送費 = 400ドル
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支援総額 1,500ドル
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ラマディ市内南部の20番通りに位置する孤児となった子どもたちと未亡人を対象に行いました。
バグダッドから逃れてきた家族もいました。その他は、夫を亡くしたり、家族の担い手を失ってしまった人々でした。
ほとんどの女性がこの2年間の内に何らかの形で夫を殺されたか亡くしていました。こうした人々は政府の許可なくバラック小屋を建てており、いつ政府から立ち退きを迫られるかわかりません。
イラク戦争直後からここに住み着いている人たちもいますが、特に多いのは2004年のファルージャ総攻撃後の避難民です。しかし、息子や男性家族を米軍に狙われていると考えている家族はどこから来たのかを言いたがりません。
(支援対象)
2009年1月
ラマディ市内20番通り付近の避難民30家族
(支援内訳)
食料 @30ドル × 30セット = 900ドル
(卵、豆、トマト缶、肉の缶詰、米、砂糖、紅茶、食用油)
子ども冬服 @10ドル × 20着 = 200ドル
人件費(3名)+輸送費 = 400ドル
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支援総額 1,500ドル
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by nao-takato
| 2009-12-07 20:11
| 支援/プロジェクト