CRPダイジェスト
2008年 12月 21日
アンマンから帰国しました。
今回も、バグダッド、ラマディ、そしてアンマンのイラク避難民に支援物資を届けてきました。その報告の前に、今回はCRPとの初ミーティングからコラボにいたるまでをダイジェストで紹介します。(2008年6月〜10月まで)
CRPアンマンチームとの初ミーティング('08年6月)イホネットからも2名参加。アメリカからの取材チームが入っていた。
イラク避難民家族を調査するのも避難民。通訳のマナルも思わず、自分の夫のことを思い出してしまって…。
CRPのマイクロプロジェクトで販売用に作っているトゥルシ(ピクルスとかつけもの)を試食。市内の食堂などに卸している。
日本から持っていった古着をマハと一緒に避難民家族に配布。毎日、家族の調査をしながらプレゼントしました。ここにいる避難民たちは、イラク戦争によって極貧に陥っているケースがほとんどです。大黒柱を失い、自宅を失い、貯金を切り崩し、残った財産や車を売って命をつないでいます。ヨルダンのイラク避難民を訪問するたびに、彼らが貧しくなっているような気がします。
イラク国内避難民サポート+イラク避難民inアンマン
イラク避難民inアンマンにリハビリ機器
2008年10月にCRP創立者のサシャと初対面。子育てを終えて、CRPに全力投球。元々はイラクに「人間の盾」として行ったのが始まりだったそうです。彼女とは意気投合し、パートナーシップを組もうということになりました。
子どもたちのPTSDも深刻。この女の子は母親が、家族の目の前で父親が誘拐された時の話をすると、固まってしまいました。
『イラク支援ボランティア高遠菜穂子』にいただいたみなさまのカンパから12,000ドル(8496ヨルダンディナール)をCRPに贈呈しました('08年10月)この後、15のマイクロプロジェクトと子どもたちへの冬物コートなどに充てられました。(詳細は後日アップ予定)真ん中はJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)のボランティアさん。
左腕を骨折したハミッド。金具で骨が固定されていますが、もう金具を取り出さなければならないとのことでした。医療NGOに言われたとおり3ヶ月待ったのですが、結局手術費用は出なかったということです。この件で、彼はアル・ジャジーラにも出たそうです。
左端のフダは乳がんを患っていて、実は化学療法のため頭髪も抜けてしまっています。右端の弟は自閉症とのこと、母親は車椅子が必要なのと、最近認知症の症状が見られるそうです。フダは大量の薬を飲みながら、それでも家計を支えるためにパートに出ています。時々、「パート」や「アルバイト」で職を得ているイラク人がいますが、正式な雇用は認められていないので、恐ろしく低賃金で1日10時間以上働いていたりします。他に写っているのは、アンマンチームのマナルとJIM-NETボランティアのふたり。
上記12,000ドルのカンパから最初のマイクロプロジェクト。オーブン、フードプロセッサー、鍋やフライパンなど調理器具を購入。彼女は、これらの調理器具で「クッバ」というピロシキのちっちゃいのに似てる揚げパンなどを販売用に作っています。彼女は夫と娘、息子の4人暮らしですが、夫は膀胱がんを患っており、だいぶ具合が悪そうでした。
ファカル一家の子どもたち4人に新しい学校カバンと靴を買いました。父親はイスラム教の宗教画家。最近、絵が売れるようになってきたらしいです。それまでは、かなり厳しい状況だったみたいです。実を言うと、この家族はバスラからのシーア派で、ヨルダンでは差別を受けています。イラク国内の宗派対立の余波を受けて、スンニ派多勢のヨルダンでは、シーア派に対する偏見が広がり、学校でもシーア派の子どもは特にイジメにあっているようです。
私のイラク人の友人ドゥハを、CRPのアメリカ人サシャとイラク人マハに紹介しました。特に、マハが独自にイラク人のネットワークで集めている医療支援について協力できないかミーティングをしました。この日の朝、「3万円の手術費用を届けに行ったが間に合わなかった」という30代男性の訃報を聞いたのでした。
今回も、バグダッド、ラマディ、そしてアンマンのイラク避難民に支援物資を届けてきました。その報告の前に、今回はCRPとの初ミーティングからコラボにいたるまでをダイジェストで紹介します。(2008年6月〜10月まで)
CRPアンマンチームとの初ミーティング('08年6月)イホネットからも2名参加。アメリカからの取材チームが入っていた。
イラク避難民家族を調査するのも避難民。通訳のマナルも思わず、自分の夫のことを思い出してしまって…。
CRPのマイクロプロジェクトで販売用に作っているトゥルシ(ピクルスとかつけもの)を試食。市内の食堂などに卸している。
日本から持っていった古着をマハと一緒に避難民家族に配布。毎日、家族の調査をしながらプレゼントしました。ここにいる避難民たちは、イラク戦争によって極貧に陥っているケースがほとんどです。大黒柱を失い、自宅を失い、貯金を切り崩し、残った財産や車を売って命をつないでいます。ヨルダンのイラク避難民を訪問するたびに、彼らが貧しくなっているような気がします。
イラク国内避難民サポート+イラク避難民inアンマン
イラク避難民inアンマンにリハビリ機器
2008年10月にCRP創立者のサシャと初対面。子育てを終えて、CRPに全力投球。元々はイラクに「人間の盾」として行ったのが始まりだったそうです。彼女とは意気投合し、パートナーシップを組もうということになりました。
子どもたちのPTSDも深刻。この女の子は母親が、家族の目の前で父親が誘拐された時の話をすると、固まってしまいました。
『イラク支援ボランティア高遠菜穂子』にいただいたみなさまのカンパから12,000ドル(8496ヨルダンディナール)をCRPに贈呈しました('08年10月)この後、15のマイクロプロジェクトと子どもたちへの冬物コートなどに充てられました。(詳細は後日アップ予定)真ん中はJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)のボランティアさん。
左腕を骨折したハミッド。金具で骨が固定されていますが、もう金具を取り出さなければならないとのことでした。医療NGOに言われたとおり3ヶ月待ったのですが、結局手術費用は出なかったということです。この件で、彼はアル・ジャジーラにも出たそうです。
左端のフダは乳がんを患っていて、実は化学療法のため頭髪も抜けてしまっています。右端の弟は自閉症とのこと、母親は車椅子が必要なのと、最近認知症の症状が見られるそうです。フダは大量の薬を飲みながら、それでも家計を支えるためにパートに出ています。時々、「パート」や「アルバイト」で職を得ているイラク人がいますが、正式な雇用は認められていないので、恐ろしく低賃金で1日10時間以上働いていたりします。他に写っているのは、アンマンチームのマナルとJIM-NETボランティアのふたり。
上記12,000ドルのカンパから最初のマイクロプロジェクト。オーブン、フードプロセッサー、鍋やフライパンなど調理器具を購入。彼女は、これらの調理器具で「クッバ」というピロシキのちっちゃいのに似てる揚げパンなどを販売用に作っています。彼女は夫と娘、息子の4人暮らしですが、夫は膀胱がんを患っており、だいぶ具合が悪そうでした。
ファカル一家の子どもたち4人に新しい学校カバンと靴を買いました。父親はイスラム教の宗教画家。最近、絵が売れるようになってきたらしいです。それまでは、かなり厳しい状況だったみたいです。実を言うと、この家族はバスラからのシーア派で、ヨルダンでは差別を受けています。イラク国内の宗派対立の余波を受けて、スンニ派多勢のヨルダンでは、シーア派に対する偏見が広がり、学校でもシーア派の子どもは特にイジメにあっているようです。
私のイラク人の友人ドゥハを、CRPのアメリカ人サシャとイラク人マハに紹介しました。特に、マハが独自にイラク人のネットワークで集めている医療支援について協力できないかミーティングをしました。この日の朝、「3万円の手術費用を届けに行ったが間に合わなかった」という30代男性の訃報を聞いたのでした。
by nao-takato
| 2008-12-21 23:07
| 支援/プロジェクト